原念斎(読み)はらねんさい

精選版 日本国語大辞典 「原念斎」の意味・読み・例文・類語

はら‐ねんさい【原念斎】

江戸後期の儒者下総国(茨城県)の人。名は善、字は公道通称三右衛門。原双桂の孫、原敬仲の子。年少にして父の職を継ぎ幕府の歩隊にはいった。また山本北山の門に儒学を学び、古河藩に仕えた。のち林述斎の推挙によって幕府の修史業務に参加した。著作に、江戸の儒者の伝を集めた「先哲叢談」、「史氏備考」など。安永三~文政三年(一七七四‐一八二〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「原念斎」の意味・わかりやすい解説

原念斎
はらねんさい
(1774―1820)

江戸中期の儒者。下総(しもうさ)国古河(こが)の出身。名は善(ぜん)、字(あざな)は公道(こうどう)。通称友之介、三右衛門。念斎は号。安永(あんえい)3年、唐津(からつ)藩儒から幕府の徒(かち)(下級武士)に転じた恭胤(きょういん)(1748―1793)の子として生まれる。母は秋田氏、祖父は雙桂(そうけい)(1718―1767)。山本北山(やまもとほくざん)に折衷学を学ぶ。父の跡を継いで徒組(かちぐみ)に出仕。一方、家塾を開き、のち昌平坂(しょうへいざか)学問所で修史事業に従った。文政(ぶんせい)3年3月19日没、47歳。江戸駒込(こまごめ)(東京都文京区)の曹洞(そうとう)宗洞泉寺(とうせんじ)に葬られる。著書に『先哲叢談(そうだん)』(1816)『史氏備考』などがある。

[三宅正彦 2016年6月20日]

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朝日日本歴史人物事典 「原念斎」の解説

原念斎

没年:文政3.3.19(1820.5.1)
生年:安永3(1774)
江戸後期の儒者。名は善,字公道,通称三右衛門。祖父は伊藤東涯の高弟・儒医原双桂。双桂の次男,古河藩儒のち幕府の御徒士原恭胤が父。母は秋田氏。若くして家督を継いだ念斎は母に似て性格厳正で,幼時から江戸の山本北山に師事して折衷学を修め,昌平黌に出仕した。佐藤一斎の墓銘によれば,念斎は権貴に諂わず下級幕臣の分に甘んじ,常に同僚たちの学問向上に努めたという。主著『先哲叢談』(8巻,1816)は,江戸開幕以来の儒者72人を個別に取り上げ顕彰した漢文体伝記で,幕府へ献上して銀を賜った。『叢談』を編むに当たって,念斎は中世から近世の先哲400人余の墓誌や行状を集め,儒家・医林・釈徒・国学・循吏・書家・画家・賢媛・武勇忠孝・武芸・雑の部に配列,膨大な伝記資料『史氏備考』46巻を作成した。『叢談』の後編計画を養子・得斎に託して逝った。後・続編は得斎の友人・東条琴台が編纂出版する。編著数種のほかに詩文集『念祖斎遺稿』5冊が伝わる。<参考文献>佐藤一斎選「原公道墓銘」(五弓久文編『事実文編』58巻)

(ロバート・キャンベル)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原念斎」の解説

原念斎 はら-ねんさい

1774-1820 江戸時代後期の儒者。
安永3年生まれ。原恭胤の子。原双桂の孫。山本北山にまなぶ。文化13年(1816)「先哲叢談(そうだん)」をあらわす。のち林述斎(じゅっさい)の推挙で昌平黌(しょうへいこう)で幕府の修史事業に従事することになったが,文政3年3月19日病没した。47歳。下総(しもうさ)古河(こが)(茨城県)出身。名は善。字(あざな)は公道。通称は三右衛門。編著に「史氏備考」,著作に「古河志」など。

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世界大百科事典(旧版)内の原念斎の言及

【先哲叢談】より

…伝記。原念斎著。1816年(文化13)刊。…

※「原念斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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