デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「厳中周噩」の解説 厳中周噩 げんちゅう-しゅうがく 1359-1428 南北朝-室町時代の僧。延文4=正平(しょうへい)14年生まれ。九条経教(つねのり)の7男。臨済(りんざい)宗。春屋妙葩(しゅんおく-みょうは)の法をつぐ。鎌倉で義堂周信にまなび,詩文をよくした。応永25年京都の鹿苑(ろくおん)院主となり,僧録司をつとめた。のち相国(しょうこく)寺,南禅寺などの住持。正長(しょうちょう)元年6月26日死去。70歳。号は懶雲子など。諡号(しごう)は智海大珠禅師。著作に「養浩集」。 厳中周噩 ごんちゅう-しゅうがく ⇒げんちゅう-しゅうがく 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「厳中周噩」の意味・わかりやすい解説 厳中周噩げんちゅうしゅうがく [生]正平14=延文4 (1359).京都[没]正長1 (1428).6.26. 京都南北朝時代から室町時代初期にかけて活躍した臨済宗の僧。九条経教の子。初め天助周祐,別号を懶雲といった。春屋妙葩の法を継いで,相国寺,天竜寺,南禅寺の諸寺に住し,鹿苑僧録を務めた。義堂門下の硯学で,文集に『養浩集』がある。諡号智海大珠禅師。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by