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及川平治 おいかわ へいじ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

及川平治 おいかわ-へいじ

1875-1939 明治-昭和時代前期の教育者。
明治8年3月28日生まれ。40年から30年間,兵庫県明石女子師範付属小学校の主事。大正10年こどもの自律性を尊重する分団式動的教育法を提唱した。昭和11年仙台市教育研究所長。昭和14年1月1日死去。65歳。宮城県出身。宮城県尋常師範卒。著作に「動的教育論」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

おいかわへいじ【及川平治】

1875‐1939(明治8‐昭和14)
大正・昭和初期の新教育運動の指導者。宮城県出身。1897年宮城県尋常師範学校卒業。1907‐36年,兵庫県明石女子師範学校の付属小学校主事として活躍。主著《分団式動的教育法》(1912),《分団式動的各科教育法》(1915)は,それまでの画一的な詰込み教授を批判し,児童中心主義の理論にもとづく教育のあり方を実践的に示したもので,当時の教育界に大きな影響力をおよぼした。また,1921年の夏に開催されたいわゆる〈八大教育主張講演会〉でも〈動的教育論〉を講じた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

及川平治
おいかわへいじ
(1875―1939)

教育者、大正自由教育の実践者。明治8年3月18日宮城県の農家に生まれる。1897年(明治30)宮城県尋常師範学校卒業後、宮城県と東京府において小学校教員を務め、文部省中等教育試験に合格。1907年(明治40)兵庫県明石(あかし)女子師範学校附属小学校主事、以後1936年(昭和11)の退職まで約30年間その地位にあった。彼の主唱する分団式動的教育を実践した明石附属小は、手塚岸衛(きしえ)(1880―1936)の千葉師範附属小、木下竹次(1872―1946)の奈良女高師附属小などと並んで、自由教育の中心地となり全国の注目を集めた。退職後は仙台市教育研究所所長を務め、カリキュラム研究に没頭。主著に、『分団式動的教育法』(1912)、『分団式各科動的教育法』(1915)、『動的教育学要綱』(1920)がある。昭和14年1月1日没。[小股憲明]

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