翻訳|pragmatism
アメリカの最も代表的な哲学。日本では〈実用主義〉と訳されることがあるが,この訳語はこれまでプラグマティズムに関して多分に誤解を招いてきており,最近ではこの訳語を使う人は少ない。プラグマティズムは哲学へのアメリカの最も大きな貢献であり,実存主義,マルクス主義,分析哲学などと並んで現代哲学の主流の一つである。プラグマティズムを代表する思想家にはC.S.パース,W.ジェームズ,J.デューイ,G.H.ミード,F.C.S.シラー,C.I.ルイス,C.W.モリスらがいる。プラグマティズム運動は〈アメリカ哲学の黄金時代〉(1870年代~1930年代)の主導的哲学運動で,特に20世紀の最初の4分の1世紀間は全盛をきわめ,アメリカの思想界全体を風靡(ふうび)するとともに,広く世界の哲学思想に大きな影響を与えた。1930年代の半ばごろから外来の論理実証主義,分析哲学がアメリカの哲学を支配するようになってプラグマティズム運動は退潮したが,パース,ジェームズ,デューイらの古典的プラグマティズムはアメリカの思想界に深く根を下ろし,依然大きな影響力をもっている。実際,一時期プラグマティズムを圧倒して絶大な影響力をもっていた論理実証主義や分析哲学自体が,時が経つにつれて,逆にプラグマティズムの影響と反批判を受けて転向ないしは退潮し,かわって再び〈プラグマティズムへの転向〉〈より徹底したプラグマティズム〉(W.V.O. クワイン),〈ネオ・プラグマティズム〉(M.ホワイト)などと呼ばれる新しい傾向が見られるのは,アメリカにおけるプラグマティズムの根強い影響を示すものと言えるであろう。
しかし一口にプラグマティズムと言っても,パース,ジェームズ,デューイらの古典的プラグマティズムはもとより,あらゆるプラグマティストたちの思想はすべて多様に違う。しかもプラグマティズムは教育思想,社会および政治思想,法理論,歴史哲学,宗教論,芸術論,数理論理学,言語および意味の理論,記号学,現象学などの多領域に及び,これらの多領域にわたってプラグマティストたちの関心もきわめて多岐に分かれている。こうしてプラグマティズムははなはだ広範多領域に及んで現代思想の発展に寄与しているが,しかし一方それを体系的に解釈しようとすると,プラグマティズムほど多義的で,矛盾,対立に満ちたとらえがたい思想はないであろう。P.ウィナーが言うように,あらゆるプラグマティストたちの多様に異なる関心や見解,〈種々のプラグマティズムの歴史的文化的多側面〉は,一つの一般的定義にはとても収まらない。A.ローティ編《プラグマティズムの哲学》(1966)もパース,ジェームズ,デューイらのプラグマティズムの多義性に加えて,さらに論理実証主義,分析哲学との交渉史においてますます多様化したプラグマティズムの姿を示している。その序文でローティは言う,プラグマティズムとは〈一般的家族的類似性を帯びた諸見解から成るある思想圏を指す符ちょうと考えるのが最も至当である〉と。プラグマティストたちの間にはつまりL.ウィトゲンシュタインの言う〈家族的類似性〉以上のものはない。したがって,プラグマティズムの一般的定義を求めるよりも,ここではおもにプラグマティズムの三大思想家パース,ジェームズ,デューイの思想を概説し,さらに日本におけるプラグマティズムの受容について若干触れておきたい。
プラグマティズムの創始者はパースであり,〈プラグマティズム〉という言葉も彼の造語である。しかしこの言葉は後にジェームズ,シラーらによって世に広められ,プラグマティズムと言えば主として彼らの思想を意味するようになった。そこでパースはあらたに〈プラグマティシズムpragmaticism〉という言葉を造語し,特に彼独自の立場を意識的に強調する際にはしばしばこの言葉を使っている。プラグマティシズムの〈icism〉は通常の〈ism〉とは違って,ある学説をより厳密に定義し,より限定的に用いることを意味しているとパースは言う。こうしてジェームズ,シラー,さらにはデューイらによって大きく拡大発展させられたプラグマティズムに対し,パースは彼のプラグマティシズムを次のように限定している。第1に,プラグマティシズムは〈それ自体は形而上学説ではなく,決して事物についての真理を決定しようと企てるものではない〉。それは難しい言葉や抽象的概念の意味を確かめる一つの方法にすぎない。第2に,難しい言葉とか抽象的概念というのは〈知的概念(科学的概念)〉のことで,プラグマティシズムはわれわれのすべての言葉や概念にではなく,もっぱら科学的知的概念にのみ適用される。
こうしてプラグマティシズムは科学的知的概念の意味を確定する一つの方法であるが,その方法とは,ある科学的知的概念の意味を確定するには,その概念の対象がわれわれの行動の上に実際にどんな結果を引き起こすかを,あらゆる可能な経験的手続によって確かめよ,というものである。この方法を論理学の一つの守則として定式化したものがパースの有名な〈プラグマティズムの格率pragmatic maxim〉で,その格率におけるいわゆる〈実際的結果〉という概念が後にジェームズらによる多くの誤解を招いた問題の概念である。パースの言う〈実際的結果〉とは,たとえばジェームズが言うような〈だれかの上に,なんらかの仕方で,どこかで,あるとき生ずる〉具体的特殊的心理的効果のことではなく,それとはむしろ逆に,未来のあらゆる状況において,もしある一定の一般的条件を満たすならば,いつでもだれでも実験的に確かめることのできる結果--言いかえれば,合理的に思考し,実験的に探究するすべての探究者たちが最終的に意見の一致にいたらざるをえないような客観的一般的結果--を意味している。このようにパースはすべての合理的実験的探究者たちが最終的に意見の一致にいたらざるをえないような〈実際的結果〉に科学的知的概念の意味を求める。それだけではなく,パースはさらに〈すべての合理的実験的探究者たちの最終的な意見の一致〉において見いだされるものが真理であり実在であると言う。こうしてパースのプラグマティシズムは科学の諸概念の意味を確定する一つの方法であるにとどまらず,さらに真理と実在に関する理論でもある。
また,パースは形而上学的にはスコラ的実在論の立場に立っていて,彼にとっては普遍者,一般者,法則性が真の実在である。普遍的一般的法則的なものの在り方はパースの現象学の用語では〈第三次性〉と呼ばれ,そのほかに〈第一次性〉は情態の性質,質的可能性の存在様式を意味し,〈第二次性〉は現実的単一的個体的事実の存在様式のことである。そしてこれらの三つの現象学的カテゴリーにおいて,プラグマティシズムは〈第三次性〉の概念にのみかかわるが,ちなみに〈知的概念〉〈実際的結果〉〈真理〉〈実在〉などはすべて〈第三次性〉のカテゴリーに属する。このように〈第三次性〉にのみかかわるという点でもパースのプラグマティシズムはより限定された学説であるが,それはパースの現象学,形而上学に支えられており,決して形而上学を否定するものではない。
R.B.ペリーは〈プラグマティズムとして知られる現代の運動は主としてジェームズがパースを誤解したことから結果したものであるというのが正しく,かつ公平であろう〉と言う。このペリーの見方にはもちろん異論もあるが,しかしこの見方はいくつかの最も基本的な点でプラグマティズムの歴史をより正確に伝えていると言えるであろう。すなわちパースとジェームズとは哲学的気質,関心,立場においてひじょうに違う,際立って対照的な思想家で,ふたりの思想およびプラグマティズムの概念にははじめから本質的に重要な違いがあるということ,したがってジェームズが広めたプラグマティズムは決して一般に考えられているような,つまりパースのプラグマティズムの概念の単なる延長発展ではないということである。このようにふたりは相いれがたい思想家であるので,確かにジェームズは多くの点でパースを誤解している。しかしその誤解はジェームズ自身がパースに劣らぬ独創的な思想家で,パースとは独立にすでに独自の思想を確立しているがゆえに生じたものである。よって誤解というかわりに,ジェームズのプラグマティズムは,パースの概念から示唆を得ながら,しかしパースとはひじょうに違う関心と立場から,ジェームズ自身が創設したもう一つの新しいプラグマティズムであると言える。
そこでプラグマティズムを正確に理解するにはまずパースとジェームズの立場を対比し,ふたりの相違を知ることが肝要であるが,その相違はおおむねつぎのように要約できるであろう。(1)パースがプラグマティズムをおもに論理学の主題として,より限定的に考えていたのに対し,ジェームズは宗教論,人生論,世界観的哲学へとプラグマティズムを拡大した。(2)パースは哲学の科学化を主張し,厳密な科学的哲学の確立を企図したが,一方ジェームズは哲学の生活化を主張した。そしてジェームズによる哲学の生活化はプラグマティズムの普及には貢献したものの,多分にプラグマティズムを俗流化した。(3)パースはスコラ的実在論の立場に立って,普遍的一般的法則的なものを真の実在と考えるのに対し,ジェームズの思想は唯名論的傾向が強く,彼にとって実在は多元的,流動的で,われわれが直接経験する顕著に具体的,特殊的,個体的事象を意味している。したがって,(4)プラグマティズムの主要概念の一つである〈実際的結果〉についても,パースは一定の一般的条件の下でいつでもだれでも確かめることのできる客観的一般的法則的結果を考えているのに対して,ジェームズは〈抽象的で,一般的で,無気力なものに対する顕著に具体的で,単一的で,特殊的かつ効果的なもの〉を考えている。(5)パースが真理と実在の探究において主観,個人的意志を排し,真理と実在をわれわれの意志に関係なく,外からの強制として,つまり合理的に思考し実験的に探究する者ならだれもが認めざるをえないものとして考えるのに対し,ジェームズは〈信ずる意志〉の哲学,主意主義の立場に立って,人間ひとりひとりの具体的主体的意志の行使を重視する。このようにパースと対比してみると,ジェームズのプラグマティズムを顕著に特色づけているのは,唯名論的傾向,個人主義,心理主義,直接経験主義,主意主義,実践主義,反主知主義であると言えよう。
パース,ジェームズとともに,プラグマティズムを代表するもう一人の偉大な思想家はデューイである。デューイはプラグマティズムの大成者で,20世紀初頭から30年代にかけて全盛をきわめたプラグマティズム運動の中心的な指導者である。プラグマティズムはデューイにいたって最も大きな発展を遂げたが,そのデューイのプラグマティズムは教育学,心理学,社会学,政治学,倫理学,論理学(探究の理論),文化の哲学,芸術論,宗教論などの多領域に及ぶ実に広大かつ多面的な思想である。そしてこのようなデューイの広大で多面的プラグマティズムは,全体として実践的人間学または〈生活の哲学〉としての性格を有し,デューイの哲学的関心は理論的探究にとどまらず,つねに人間および社会の現実的具体的諸問題の解決という実践的課題に向けられている。本来〈プラグマティズムpragmatism〉という言葉はギリシア語の〈プラグマpragma〉(〈行動,実践〉の意)に由来し,それは語義どおりに訳せば行動主義,実践主義,または行動の哲学ということになるが,デューイにとって〈行動〉とは人間生活のあらゆる営みを意味し,行動の哲学はすなわち生活の哲学である。そしてこのデューイの行動即生活の哲学の根底にあって,その核心を成しているのは彼の自然主義と道具主義であろう。
デューイはパース,ジェームズのプラグマティズムを継承しながら,さらにC.ダーウィンの進化論から決定的な影響を受けることによって,独自の自然主義的プラグマティズムを確立した。その自然主義とは,いっさいの先験主義を否定し,自然と経験,物質と精神,存在と本質,自然的生物学的なものと文化的知的なものの隔絶を説いてきた伝統的二元論をすべて排して,人間のあらゆる社会的文化的精神的営為は自然的生物学的なものから発し,それとの連続性によって成り立っていると主張する立場である。デューイの自然主義においても,人間の本性はもちろん人間の文化的精神的営為にある。しかし人間ははじめから文化的精神的存在であるのではない。人間はまず自然的生物学的な〈生活体〉であり,そこで生物学的生活体としての人間はまずその自然的環境との不断の相互作用において自然的生命を維持し,自然的生活を営まなければならない。こうして人間はその自然的生命,生活に不可欠な自然的諸条件の下で生活をはじめるが,しかし人間の生活はもちろん単なる自然的生物学的次元にとどまるものではなく,他の動物とは違って,人間本来の生活は,思考とか認識とか言語の働きなどの知的活動を媒介にして営まれる文化的精神的生活である。その場合,しかしこのような人間の知的活動は先験的なものではなく,人間生活体とその環境との不断の相互作用を通して,そこに起こる生活上の諸困難,諸問題を解決する必要から,すなわち道具的に機能的に生じ発展するものである。こうしてデューイの自然主義は必然的に彼の道具主義にいたる。その道具主義とは,人間は道具の使用によって,他の動物に比べてはるかに大きな環境に対する適応能力をもっているが,同様に人間の知性は人間がよりよくその環境に適応し,よりよい生活を営むための手段であり道具であるという主張である。そしてデューイは科学の方法を最もすぐれた知的探究の方法と考え,人間のいっさいの社会的文化的精神的営為において科学的実験的探究の態度と方法を強調した。
以上パース,ジェームズ,デューイの思想を通してプラグマティズムを概観してきたが,そのプラグマティズムが最初に日本にはいったのは1888年で,元良(もとら)勇次郎によるデューイの心理学の紹介にはじまっているようである。その後,93年には元良がこんどはジェームズの心理学を紹介し,1900年にはイェール大学の心理学教授G.H.ラッドが来日して,ジェームズの心理学について講演し,その翌年桑木厳翼がジェームズの《信ずる意志》の思想を紹介した。なお,ジェームズの〈直接経験〉〈純粋経験〉の思想は西田幾多郎,田辺元,出隆らに影響を与えている。一方,デューイの心理学,倫理学,教育思想も中島徳蔵,田中王堂らによって紹介された。このようにジェームズとデューイの思想はかなり早くから日本に受容されているが,ジェームズの思想が日本のアカデミズム哲学者たちの注目を引いたのに対し,デューイの思想は在野の思想家たち(田中王堂,杉森孝次郎,帆足(ほあし)理一郎ら)に受け入れられ,アカデミズム哲学との対決に重要な役割を果たしていることは注目される。そして日本におけるプラグマティズムの主流は在野派であり,その最も代表的な思想家は田中王堂であろう。彼はデューイから直接最も大きな影響を受け,〈書斎より街頭に〉を標榜して哲学の生活化を主張し,道具主義を唱え,〈徹底的個人主義〉〈民主主義〉を説いた。プラグマティズムは第2次大戦前の日本では特に大正デモクラシー期に最も盛んに摂取された。そして敗戦後,再びデューイを中心にプラグマティズムの研究がいっそう盛んになり,日本の民主主義運動,教育改革に大きな影響を与えた。
→分析哲学 →論理実証主義
執筆者:米盛 裕二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
現代アメリカの代表的哲学。実用主義と訳されたこともある。観念や思想を行為(ギリシア語でプラグマpragma)との関連においてとらえる立場。1870年代にパースが唱え、19世紀末にW・ジェームズが全世界に広め、20世紀前半G・H・ミードやJ・デューイが社会哲学および教育学の分野で肉づけし、20世紀後半クワインやホワイトが言語哲学の分野に大きな影響を与えた。
パースによれば、観念の意味は、その観念の対象が、行為にかかわりのあるどのような結果をもたらすかにある。たとえば「もろい」という観念の意味は、その対象に力を加えるとすぐ壊れる、ということである。このようにある観念の意味を明らかにするためには、その観念の対象になんらかの実験を行うことによって、どのような結果が生まれるかを考えてみればよい。そしてこうした結果を考えることのできない観念は、無意味な観念として哲学上の議論から追放しなければならない、とパースは主張する。ところが、観念の意味を明らかにする方法として提案されたパースのプラグマティズムを、真理に関する理論に応用したのが、ジェームズのプラグマティズムである。
ジェームズによれば、観念の意味は、その対象がもたらす結果にあるゆえ、たとえば神という観念も、神を信じることによって勇気づけられるという結果をもたらすならば、それが神の観念の意味である。そしてこういう有用な結果をもたらす限りにおいて、神の観念は真理である。さらに一般的にいえば、いかなる観念でも、それが有用な結果をもたらすならば、その限りにおいて真理である、とジェームズは主張する。
この主張が全世界に伝えられるとともに、プラグマティズムは役にたつものはすべて真理であるとする真理=有用説とみなされるに至った。しかしジェームズの意図は、〔1〕限定的真理を認めることによって、たとえ事実に反する観念であってもそれを信じる権利を万人に認め、19世紀以来深刻となった科学的世界観と宗教的信条との対立を調停することであり、〔2〕またたとえば「いま何時ですか」と聞かれて、「私は埼玉に住んでいます」と答えたとき、それがたとえ事実であっても真理とはいえないように、真理が成立するためには、目的に役だつということがなければならず、人間生活における有用性を離れて真理はありえないことを強調することであった。イギリスのF・C・S・シラーはこうしたジェームズの考えを受け継いでいる。
デューイは、観念の意味はそれのもたらす結果にあるというパースやジェームズの主張をさらに発展させ、観念は不確定な状況を確定的な状況に転化させるための実験的な仮説であると考える。たとえば、山中で道に迷ったとき(不確定な状況)、家畜の通った跡らしきものをみつけ、「これをたどれば人家に行き着く」という仮説に従って行為するとき、予想どおりの結果(確定的な状況)を得る。このように、観念は状況を変えるための道具であり、その真偽よりもむしろ有効性が問われなければならない、という。
ミードは、ジェームズの影響の下に自我と社会の関連を論じ、理論社会学に独自の道を開いた。さらにクワインやホワイトは、パースやデューイの影響を受けて、1950年代以降、言語哲学の領域に「ネオ・プラグマティズム」とよばれる新しい視点を導入した。
[魚津郁夫]
プラグマティズムと教育との関係はおもに、パース、ジェームズの後を受けてプラグマティズムを完成し、これを教育の理論と実践に適用したデューイと彼の後継者たちから生じた。その影響は20世紀初頭以来、アメリカはもとより、広く世界各国に及んでおり、日本ではとくに第二次世界大戦後に顕著なものになった。今日の教育に対しても、その影響は依然として、少なからず保たれている。
プラグマティズムが教育に及ぼした影響は次の3点に要約できよう。〔1〕行動と経験の重視。とかく書物やことばだけの学習に偏りがちな学校教育に対し、行動と経験による学習の意義を強調し、学校に実験室、作業場、農園等を設けて、児童に直接的な経験をさせるとともに、認識を獲得し検証する機会を与え、学校を児童が生き生きと生活し学ぶ場所たらしめようとした。〔2〕実験的・探究的方法の活用。元来自然科学の方法であったこの方法を教育の領域に適用し、児童に実験的探究によって経験を連続的に改造させ、現実の生活をより望ましい姿に変えていこうとする態度・方法を身につけさせることが目ざされた。〔3〕社会生活との結び付きの重視。従来の学校教育と社会生活の分離を克服し、学校を「小型の社会、胎芽的な社会」として組織し、学校の内外の学習を連続させ、民主的な社会生活に有効に参加する能力を発達させることが強調された。
[山崎高哉]
『鶴見俊輔著『アメリカ哲学』(講談社学術文庫)』▽『上山春平編訳『世界の名著48 パース・ジェイムズ・デューイ』(1968・中央公論社)』▽『ジェイムズ著、桝田啓三郎訳『プラグマティズム』(岩波文庫)』▽『デューイ著、宮原誠一訳『学校と社会』(岩波文庫)』▽『ミード著、稲葉三千男他訳『精神・自我・社会』(1973・青木書店)』▽『クワイン著、中山浩二郎他訳『論理学的観点から』(1972・岩波書店)』▽『デューイ著、松野安男訳『民主主義と教育』全二冊(岩波文庫)』▽『『森昭著作集2 経験主義の教育原理』(1978・黎明書房)』
アメリカの哲学者W・ジェームズの著作。1907年刊。プラグマティズムの定式化として有名なパースの論文「観念を明晰(めいせき)にする方法」(1878)に独自の解釈を加え、ジェームズ自身の立場を明らかにした著作として、哲学史上に確たる位置を占める。パースが観念の意味はその観念の対象がもたらす実際的結果であるとしたのに対し、ジェームズはその観念を信じることから結果する情緒的な反応もまた観念の意味であるとし、いかなる観念でも、それを信じることによって有用な結果をもたらすならば、その限りにおいて真理であるとした。かくして、プラグマティズムは真理と有用とを混同する学説にすぎないという一面的理解が生まれることになったが、そもそも真理は人間生活における有用性という大地に根ざしていることの指摘は、その後、経験主義的な哲学説に大きな影響を与えた。
[魚津郁夫]
『桝田啓三郎訳『プラグマティズム』(岩波文庫)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(石川伸晃 京都精華大学講師 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
1870年代から20世紀初頭にチャールズ・パース,ウィリアム・ジェームズ,ジョン・デューイらを主要な提唱者として発達したアメリカの哲学思想。工業化の急速な進展と近代科学の発展に特徴づけられた時代への哲学的対応として,真理についての固定的な観念を排し,より動的な真理の見方を求めた。パースは観念の意味をその実際的結果に求め,科学的真理も確定的ではなく相対的なものであると主張し,ジェームズはある観念を信じることが有益で「市場価値」を持っているかぎり,それは真理であると主張し,デューイは問題解決に役立つ道具としての観念に価値を見出した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…文学の世界では,自由な自然のままの人間を宣揚するホイットマンの詩なども,アメリカニズムの所産といえる。デモクラティックな自由人の能動性を重んじるプラグマティズムは,アメリカニズムの思想的な所産であろう。 しかし他面で,アメリカニズムは独善的な狭隘さや,〈翼をひろげた鷲〉のイメージが象徴する,他国と他民族への威圧的態度spread‐eagleismも生んだ。…
…この試行錯誤でも感覚に訴えることが基であり,ここから経験を感覚ないし感性の対象界に限定する感覚論,感性的現象界に制限する現象論,感覚ないし感性によって事物の措定(そてい)や定立を確証する実証主義が経験論の主流として成立する。19世紀末以来のプラグマティズム,20世紀前半以来の論理実証主義は現代の経験論に数えてよい。前者の代表者の一人W.ジェームズは直接に経験されるものおよびその関係を純粋経験とし,純粋経験はその外部の別の経験との関連であるいは物的存在あるいは心的存在と呼ばれると見,感性的経験論を根本的経験論へと徹底させ,初期の西田幾多郎に影響を与えた。…
…アメリカの心理学者,哲学者。アメリカにおける実験心理学の創始者のひとり,哲学においてはプラグマティズムを広い思想運動に発展させ,現代哲学の主流の一つにした指導的学者として知られる。父親のヘンリー・ジェームズHenry J.(1811‐82)は宗教・社会問題の著述家,父親と同名の弟は著名な小説家。…
…そして,社会の歴史的発展法則に基づく革命的実践の意義を強調するとともに,実践によって理論が生まれ,理論によって実践が修正補強される〈理論と実践の統一〉を明確にした。 一方,19世紀後半のアメリカでは,C.S.パースが,カントの実践の二分法に触発されて,形而上学を排して真に科学的に思考する哲学的立場を探求して,それをプラグマティズムと呼んだ。〈プラグマティックpragmatic〉という語は,ギリシア語の〈プラグマpragma〉(活動,実際になすべきこと),その形容詞〈プラグマティコスpragmatikos〉に由来するが,パースは,概念の意味を,思弁ではなくそれが行動に現れる実際的結果によってとらえ,理論をつねに実践(実験)によって検証すべきことを主張した。…
… いま上でも触れたが,19世紀後半より20世紀前半にわたり,アメリカでは進化論の思想的影響がもっとも特徴的にあらわれている。ダーウィン学説とともにスペンサーの進化論が普及したことはその一つであり,また進化論がプラグマティズムの哲学の成立をうながしたことが注目される。進化論の哲学への影響は,フランスのベルグソンの《創造的進化》(1907)などいろいろあるが,プラグマティズムは最大のものといえる。…
…アメリカの哲学者,教育学者,社会心理学者,社会・教育改良家。哲学ではプラグマティズムを大成して,プラグマティズム運動(20世紀前半のアメリカの哲学および思想一般を風靡した哲学運動)の中心的指導者となり,その影響を世界に広めた。教育においてはプラグマティズムに基づいた新しい教育哲学を確立し,アメリカにおける新教育運動,いわゆる〈進歩主義教育〉運動を指導しつつ,広く世界の教育改革に寄与した。…
…アメリカの自然科学者,論理学者,哲学者。プラグマティズムの始祖で,現代記号学(記号に関する一般理論)の創設者のひとり。また記号論理学,数学基礎論,および科学方法論の現代的発展における先駆者のひとりでもあり,〈合衆国が生んだ最も多才で,最も深遠な,そして最も独創的な哲学者〉と言われる。…
※「プラグマティズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
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