古保利古墳群(読み)こぼりこふんぐん

日本歴史地名大系 「古保利古墳群」の解説

古保利古墳群
こぼりこふんぐん

[現在地名]高月町片山、東浅井郡湖北町石川など

高月町から東浅井ひがしあざい湖北こほく町にかけての琵琶湖を望む西野山にしのやま丘陵上に連なる古墳時代前期後半から後期前半にかけての古墳群。首長墓系譜の主墳である前方後円墳前方後方墳一一基および円墳・方墳からなり、総数約一三〇基が六つの支群に分けられる。県指定史跡。古墳群中の最古の古墳は西野山丘陵の最南端に位置する前方後円墳の若宮山わかみややま古墳(湖北町)で、四世紀後半と推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「古保利古墳群」の解説

こほりこふんぐん【古保利古墳群】


滋賀県長浜市高月町にある古墳群。滋賀県北部、琵琶湖北端の塩津湾東岸に面した丘陵上に位置し、琵琶湖との高低差100m以上の丘陵尾根上に、南北約3kmにわたって分布する古墳群。発掘調査の結果、古墳時代初期~後期・終末期にいたる前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37基の計132基の古墳からなる滋賀県屈指の大規模な古墳群であり、墳丘も良好な状況で保存されていることが判明した。立地や分布状況から6つの支群に分けられ、それぞれ1基以上の前方後円墳または前方後方墳があって、前方後円墳では西野山古墳が全長90m、寺ヶ浦古墳が全長53.5m、前方後方墳では小松古墳が全長60mである。円墳の直径や方墳の1辺はほぼ30mを最大とし、前方後円墳・前方後方墳と規模の大きい円墳・方墳は、古墳時代初期~前期末または中期前葉ごろのもので、前方後方墳の小松古墳は後方部の墳頂部から出土した二重口縁の壺や高坏(たかつき)などの土器から、初期の古墳と考えられる。これら前期を中心とした古墳の内部主体は竪穴(たてあな)式石室や粘土郭(ねんどかく)などが確認されず、木棺直葬と推定される。埴輪(はにわ)は発掘されていないが、前方後円墳には葺石(ふきいし)が確認され、直径10m内外の小規模の古墳は横穴式石室や横口式石郭などを内部主体とし、6~7世紀に造営された後期・終末期のものとみられる。また、琵琶湖に直に面して琵琶湖からしか望めない古墳もあることから、琵琶湖からの眺望を意識したことがうかがえ、近江水上交通の大動脈である湖北地域は、畿内(きない)地方や北陸地方、東海地方、山陰地方から若狭地方の各地を結ぶ交通路上にあたることからも、古墳の被葬者は琵琶湖の水上交通に関与した集団と考えられる。古墳時代初期~終末期まで長期にわたって継続した大規模なもので、古墳時代の琵琶湖の水上交通のあり方とそれを担った集団の変遷や構成を知るうえで重要であることから、2003年(平成15)に国の史跡に指定された。JR北陸本線高月駅から車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

事典 日本の地域遺産 「古保利古墳群」の解説

古保利古墳群

(滋賀県長浜市高月町西野)
近江水の宝」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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