イギリスの経済学者。古典派経済学の代表者アダム・スミスの経済学の一面を継承し,D.リカードの論敵として,とくに人口論者として著名。サリー州のドーキングに近いルカリに資産家である郷紳の子として生まれ,父の自由教育をうけて育った。1784年ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジに入学,卒業後サリー州オールブリで牧師補に就任(1796),その後ウェルスビーの牧師職につき(1802),マルサス師と呼ばれることになった。《人口論》(初版1798,第6版1826)は,牧師補のころから執筆されたが,最初の契機は,W.ゴドウィンやコンドルセがフランス革命に触発されて〈人間と社会との完全性〉論を内容とする社会改革思想を主張し,イギリスの思想界に動揺を与えたとき,その時事問題を父と討論し,父とは逆に新思想に反対する立場をとったことであった。初版は,人口の自然増加は幾何級数的だが生活資料の増加は算術級数的だという〈自然的不均衡〉を想定し,その結果,労働者人口の絶対的な過度増殖からその階級に貧困と悪徳とが発生するのは,永久的自然法則として不可避だとした。これは,産業革命の進行とナポレオン戦争の混乱とに起因する当時の貧困問題や受救貧民救済策に反対する理論的根拠を与えるものとして,衝撃的影響を与えた。第2版(1803)は,社会改革思想の反駁の書というよりは人口の原理の解明を主眼とする学術書の体裁を整え,生活資料を上回る人口増加についても,結婚の延期を意味する〈道徳的抑制〉論をつけ加えた。彼の人口論には多くの異論がある。その継承者のうちにも,19世紀後半以後,マルサスの承認しなかった産児制限論を加味した〈新マルサス主義〉(〈マルサス主義〉の項参照)が現れるなど,新旧の区別を生じたが,いずれも人口の原理を本来的に自然法則と解する点では絶対的過剰人口論であり,マルクスの相対的過剰人口論とは対照的である。
1805年,マルサスはハートフォード州のヘーリベリーに新設された東インド・カレッジの近代史と経済学の教授に就任,生涯その職にあった。それ以前に,すでにD.リカードとのあいだで穀物法と地代に関する論争が始まっており,マルサスは,つぎつぎ自説を小冊子で発表,同時にリカードとの往復書簡を通じて,みずからの経済理論を形成した。《経済学原理》(1820)はその最終的成果で,その後も《価値尺度論》(1823),《経済学における諸定義》(1827)を発表した。彼は,一般的には地主階級擁護の立場からリカードの新興産業資本家階級擁護の立場を批判したと評価されているが,リカードが労働価値説に立脚して,資本家・労働者・地主の三大階級間の生産物分配を問題にしたのと対照的に,同じく三大階級を前提としながら,有効需要の側面に重点をおく需要供給論を展開した。リカードやセーに反対して〈一般的供給過剰general glut〉の可能性を主張したことも対照的である。しかしマルクスは,労働価値説を放棄し〈過少消費説〉(〈恐慌〉の項参照)に基づいて地主階級の不生産的消費を擁護しようとしたものとし,マルサスは地主階級のイデオローグであり,イギリス古典派経済学を前進させるどころか俗流経済学に門戸を開くことになったとして〈科学的反動〉と評価した。他方ケインズは,彼を〈ケンブリッジ学派の最初の人〉とし,〈もしリカードではなくマルサスだけが19世紀経済学の直系の父祖であったら,今日の世界ははるかに賢明かつ富裕な場となっていただろう〉と高く評価している。彼の経済学をめぐる評価は現在でもまったく対照的である。
執筆者:時永 淑
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イギリスの経済学者。南イギリスのサリー州に生まれる。ケンブリッジ大学を卒業後、イギリス国教会の牧師補となったが、1805年ハートフォードに新設(のちにヘーリベリーに移転)された東インド・カレッジで、イギリス史上初めての経済学の教授となり、死ぬまでその職にあった。
マルサスの時代は、産業革命の進行が、経済不況や労働者階級の貧困・悪徳といった社会問題を生み出し、おりからのフランス革命の影響もあって、既存の政治経済制度への批判が高まっていた。マルサスは、これらの新たな社会問題に独自の解明を行い、地主主導の既存の体制を擁護する保守側にたった。彼はまず1798年に『人口論』(初版)を出版し、貧困と悪徳の原因を私有財産制度に求めた無政府主義者W・ゴドウィンと対決した。マルサスは、人間の生存に不可欠な食物は算術級数的にしか増加しないのに、人間の本能である性欲は幾何級数的な人口増加をもたらす傾向をもつので、自然のままでは、過剰人口による食物不足は避けられないと断じた。そしてこの原理からすれば、貧困は死亡率を高める積極的制限となり、悪徳は出生率を低める予防的制限となるのであるから、過剰人口の抑制力として是認されるとしたのであった。このような初版の主張は世間の強い反発を招いたために、彼は1803年第二版を出し、過剰人口の抑制策として、結婚の延期などの道徳的制限を追加し、その後も26年の六版に至るまで改訂を続けたが、飢え死にに対する恐怖こそが過剰人口を抑制するのであり、それは自分のことは自分でまかなうという私有財産制度と結婚制度によって達成されるというその主張は変わらなかった。次に当時のたび重なる経済不況については、穀物法論争において穀物法を是認する小冊子を出したのをはじめ、1820年には『経済学原理』を出版、穀物法に反対したリカードと対決した。彼は穀物法による穀物の高価格は、安定した需要をもつ農業投資を拡大し、地代を増加させて製造品への有効需要を創出するから、不況対策として有利だと主張した。むしろ、急激な製造工業の発展は過剰生産による経済不況をもたらす可能性があると指摘した。地主擁護のマルサス経済学は、産業資本がその販路を世界に拡大していった19世紀イギリスでは、正統の地位をリカードに譲ったが、20世紀になって、需要を重視した経済学者として、J・M・ケインズによって再評価されることになる。
[千賀重義]
『小林時三郎訳『経済学原理』全二冊(岩波文庫)』
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1766~1834
イギリスの古典学派経済学者。ケンブリッジ大学卒業後,郷里で聖職者となり,1798年匿名で『人口論』を著し,食料増加が人口増加に及ばないとして貧困発生の必然を説いた。リカードを批判した『経済学原理』(1820年)などで地主,資本家を擁護する学説を主張。
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…しかしスミスは,土地のみが生産的であるとする重農主義をも批判し,利潤の概念を確立させた。古典派経済学は,さらに《経済学および課税の原理》(1817)の著者D.リカード,《人口論》(1798),《経済学原理》(1820)などを著し,有効需要の問題を重視して後にケインズに評価されたT.マルサスなどにより展開されていく。そして,古典派経済学の最後の巨峰はJ.S.ミルであり,その著《経済学原理》(1848)は古典派経済学の完成の記念碑である。…
…古典派経済学(略して古典派あるいは古典学派ともいう)とは一般に,18世紀の最後の四半世紀から19世紀の前半にかけイギリスで隆盛をみる,アダム・スミス,リカード,マルサス,J.S.ミルを主たる担い手とする経済学の流れをさしている。D.ヒュームらアダム・スミスの先行者や19世紀のJ.ミル,J.R.マカロック,R.トレンズ,ド・クインシー,S.ベーリー,N.W.シーニアー,S.M.ロングフィールドらをどう扱うか,またJ.S.ミルに後続するフォーセットHenry Fawcett(1833‐84)やケアンズJohn Elliot Cairnes(1823‐75),フランスのセーやシスモンディをどう扱うかについて,多少考え方の相違があるが,おおむねこれらの人たちも含まれる。…
…食糧問題は通常,人口に対する食糧の不足ないし人口の増加に食糧の供給が追いつかない状態であると考えられ,したがって人口食糧問題ともいわれる。人口問題を最初にとり上げたのはイギリスの古典派経済学者T.R.マルサスであった。マルサスは1798年に出版された《人口論》で,人口は幾何級数的に増加する傾向をもつが,食糧の供給は算術級数的にしか増加せず,したがって人口は食糧の供給能力の枠内に抑制されざるをえない。…
…しかし人口の増減が賃金の騰落に応じて調和的に生ずるものとする想定には無理があった。 T.R.マルサスは《人口論》(初版1798,再版1803)において,こうした予定調和的人口論に対立し,人口増加は幾何級数的であるのに,土地の生産物に依存する生活資料は算術級数的にしか増加しないという自然的不均衡を強調し,そこから労働者階級の貧困や悪徳が不可避となると主張していた。《人口論》の再版以降では,その対策として人口増加を制限する道徳的抑制の必要が説かれている。…
…イギリスの古典派経済学者T.R.マルサスの主著。初版のタイトルは正確には《人口の原理に関する一論,それが社会将来の改善におよぼす影響,ならびにゴドウィン,コンドルセ,その他の著作家たちの思索についての所見》(匿名,1798)で,フランス革命に触発されたW.ゴドウィンらの平等社会論を攻撃した論争書であり,その理論的武器が〈人口原理〉であった。…
…セーは,この販路説にもとづいて全般的過剰生産は起こりえないと主張し,ただ企業家の誤算や国家の干渉のような偶然的・政治的原因によって部分的に過剰生産が起こりうることだけを認めた。実際,ナポレオン戦争後の恐慌(1817‐19)の際,J.C.シスモンディやT.R.マルサスが全般的過剰生産が起こりうることを認め,いわゆる過少消費説(〈恐慌〉の項参照)を主張したのに対し,セーは上述の理解から,ただ生産部門間の不均衡による部分的過剰生産を認めただけで全般的過剰生産を否定し,前2者とのあいだに〈市場論争〉と呼ばれる論争を展開した。この論争にはD.リカードやJ.ミルも参加し,全般的過剰生産を否定するセーの見解に賛意を表した。…
…イギリスの古典派経済学者マルサスが主著《人口論》(初版1798)で主張した人口原理ないし人口政策のこと。マルサスの人口原理の骨子は,(1)人間の生存には食料が必要であること,(2)人間の情欲は不変であること,しかし(3)食料は算術級数的にしか増加しない(のちに〈収穫逓減の法則〉と呼ばれるに至ったもの)のに対し,人口は幾何級数的に増加すること,したがって(4)人口は絶えず食料増加の限界を超えて増加する傾向があること(なお,このようにして増加した人口は〈絶対的過剰人口〉と呼ばれ,マルクスの〈相対的過剰人口〉と区別される),(5)絶対的過剰人口はマルサスによって〈積極的抑制positive check〉と呼ばれた〈貧困と悪徳〉によって食料増加の限度内に抑圧される。…
※「マルサス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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