アダム・スミスの主著で,経済学の最初の体系的著作。全2巻。1776年刊。日本では,1882年に石川暎作による翻訳の刊行がはじまってから,全訳だけでも8種類あり,題名も《富国論》《国富論》《諸国民の富》と多様である。これは必ずしも日本独特のことではなく,ドイツ,フランス,ロシア(ソ連),イタリア,中国などで,それぞれ数種類の翻訳がでている。このような人気は,本書が経済的自由主義の古典であるだけでなく,ホッブズ,ロックのあとをついだ近代自由主義思想の古典であることによる。なおテキストとしては,イギリスの経済学者キャナンEdwin Cannan(1861-1935)が精密な校注をした第5版によるキャナン版が最も権威あるものとされている。
封建社会が解体して,近代的個人がそれぞれに生活状態の改善を求めて努力するようになると,富の性質と原因についての理論的探求がはじまり,国王や領主も彼ら自身の立場から同じ問題に関心をもつようになる。重商主義は,この問題に対して,仕入価格と販売価格との貨幣差額(譲渡利潤),あるいは国の貿易における個別取引または全貿易の差額(取引差額または貿易差額)が富の源泉であり,富とはこのようにして得られた貨幣なのだとこたえた。
しかしこの考え方では,自由競争によって一物一価の原理が実現すれば(完全な実現はありえないとはいえ)利潤がなくなってしまうので,流通過程の独占または寡占を確保しなければならない。イギリス本国の商人・製造業者による北アメリカ植民地貿易の独占,すなわち旧植民地体制は,その典型的な例であった。これに対してケネーを中心とする重農主義は,流通過程から生産過程に目を移し,農業生産においてのみ自然の恵みが剰余生産物を生むのだと考えた。商工業の労働は,生産物の形態や位置をかえるだけで,剰余は生まないとされたのである。
スミスはこのあとをうけ,《国富論》において,貨幣ではなく生活資料の豊かさが富なのだとし,その富をつくりだすのは,農業労働にかぎらず労働一般なのだとした。彼はまず序論でこのことを述べ,第1編と第2編では,労働が富を生みだす資本主義社会(彼の用語では文明社会または商業社会であって,市民社会ではない)のしくみを理論的に分析し,第3編ではそういう社会が順調に生成発展するための歴史的条件をたずね,第4編では順調な発展をさまたげる政策としての重商主義と重農主義(とくに前者)を批判する。最後の第5編は,財政学ではあるが,国家の経費をどうしてまかなうかという租税・公債論に先立って,重商主義的統制を廃棄した自由放任の社会で,国家は何をなすべきかという議論をしているので,その部分は国家論であり,さらに国家の任務として広義の教育(民衆娯楽や宗教をも含む)を論じた部分は,教育論,宗教論となっている。とくに最近では,教育論のなかで,第1編で賛美した分業の弊害を指摘していることが注目されて,スミスがファーガソンの分業批判にまさる疎外論をもっていたという解釈があらわれた。
《国富論》第1編の叙述が,ピン製造における分業からはじまっていることは有名であって,スミスはこの例を直接にはディドロ,ダランベールの《百科全書》からとったとされているが,彼の故郷の釘つくりについての観察も無関係ではないであろう。ところで彼はまず,作業場内部での分業すなわち技術的分業が,熟練と時間の節約によって労働の生産力を高めることを強調しておきながら,それと社会的分業すなわち職業分化とを混同してしまい,それ以後の叙述は,一方で地主,資本家,労働者という資本主義社会の基本的3階級をみながら,基本的には,独立小生産者がそれぞれの商品を交換する文明社会=商業社会の枠のなかにとどまっている。市場での商品の売買は,肉屋とパン屋がそれぞれ相手の利己心にうったえて,交換によって相手の商品を取得するという形態で理解され,労働もまた労働者の財産として交換=販売されることになるのである。
その結果,商品が貨幣になることの意味,したがって貨幣の役割が十分に理解されず,しかし逆に,商品はそれに体化された労働量が等しい場合に交換されるのだという認識に,容易に到達する。だが,《国富論》が書かれているときのイギリスは,産業革命の入口にあったから,スミスは現実に3階級が存在することをよく知っていた。そこで,土地私有と資本蓄積に先立つ未開社会では,全生産物が労働者=生産者に帰属する(価値が投下労働量できまる)が,地主と資本家が地代と利潤を要求するようになると,価値は地代,利潤,賃金の合計すなわち支配労働量できまるといって,有名な労働価値論の混乱をひきおこす。混乱の原因は,彼が投下労働量と賃金が等しいと考えたことにあるが,この混乱によって,かえって搾取の存在に光をあてたのである。
第1編後半では,賃金,利潤,地代の性質と変動の原因が論じられ,第2編では,労働の生産的使用(資本による賃労働の使用)の増大が,国民の富の増大の条件であることが主張されたのち,第3編では,もし各人がその財産を自由に(自分に有利と考えるとおりに)使用することができれば,資本は(したがって労働も)農業,工業,国内商業,外国貿易の順序に投下されて,国富の自然で急速な増大が実現されたはずだとして,外国貿易中心の重商主義が批判の的にされる。重商主義は国家の保護や奨励によって投下の自然の順序をくるわせ,阻害するのであって,その典型的な例は北アメリカ植民地に対する本国の諸独占であり,第5編では,国家はこのように有害な独占政策を行わないで,国防,司法,公共施設,教育という非営利的活動に自己を限定すべきことが強調される。
→経済学
執筆者:水田 洋
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イギリスの経済学者アダム・スミスの主著。1776年刊。『諸国民の富』とも訳される。原書名は『An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations』(諸国民の富の性質と原因に関する研究)で、5編からなる。スミスの奥行の深い道徳哲学や自然法学のなかから生み出された書物であり、単なる経済学の古典にとどまらず、広く市民社会思想の古典としての位置を占めている。それゆえに、それは後の経済学に受け継がれただけでなく、ヘーゲルやマルクスによって一つの市民社会体系として受け止められた。日本近代史のなかでも、それは富国策としてばかりでなく、市民社会化の指針として受け入れられてきた。
スミスは、この書で富の源泉を探究したが、当時は、重商主義の金銀貨幣=富観と、重農学派の農業だけが富の源泉だという見方とが対立していた。スミスは、これに対して、年々の労働が富の源泉であり、したがって、一国の富は、第一に、農工商などの生産的労働における分業の細分化によって、第二に、生産的労働者を雇用する資本蓄積の度合いによって左右されるとみなした。そして、これを妨げている封建制や重商主義の停滞性・浪費性を批判した。全5編のうち1、2編は、分業、貨幣、価値、価格、分配、資本蓄積などの理論的分析を、3、4編は、封建的土地制度や重商主義の貿易・植民地政策の批判を、5編は、国家財政を主題としている。
スミスにとって最大の問題は、根強い独占根性を有する一部の大商人・大製造業者の働きかけによって、国家の政策や立法が不当にゆがめられていることであった。そのため、植民地貿易などを通じて独占利潤が生じ、資本や労働の最適配置が妨げられ、総体としての富の増加が抑えられてしまう。また、その独占的貿易政策のため、友好国たるべきフランスと長期にわたる敵対状態に陥り、さらに、アメリカ独立戦争も起こってしまった。その経費をまかなうために赤字公債も累積しつつあった。したがって、1、2編で論証された自然的自由のあり方に即して政策や法を正すことが、3~5編を貫くスミスの課題であった。このような文脈のなかで「見えざる手」や「安価な政府」の観点が展開された。
[星野彰男]
『大河内一男監訳『国富論』全3冊(中公文庫)』▽『大内兵衛・松川七郎訳『諸国民の富』全5冊(岩波文庫)』▽『星野彰男・和田重司・山崎怜著『国富論入門』(有斐閣新書)』
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…したがって,そうした経験的世界の構造を一貫して見通そうとしてきたイギリス経験論は,実は,イギリスの近代史がたどってきた歴史的現実それ自体の理論的自覚化として,明らかに,固有の歴史性とナショナリティとをもったイギリスの〈国民哲学〉にほかならなかった。その意味において,イギリス経験論の創始者ベーコンが,イギリス哲学史上初めて母国語で《学問の進歩》を書き,また,その掉尾を飾るスミスの主著が《国富論(諸国民の富)》と題されていたのは,けっして単なる偶然ではなかったのである。【加藤 節】。…
…18世紀半ば以降は,このような法人格をもたない非公認会社の時代であった。当時の会社企業についてアダム・スミスは《国富論》(1776)で次のような見解を示している。まず第1に,他人の貨幣を管理する会社の重役は,自己の貨幣に対するほどの慎重さを欠くから,会社企業は個人企業やパートナーシップのような資本の所有と経営が結合した企業形態に比べて経営能率が低い。…
…もちろん,J.ロビンソンをはじめとして批判は多いが,ロビンズの考え方は現在にいたるまで近代経済学の指導原理の一つとなっている。
【スミス《国富論》】
経済学が今日のような形での一つの学問分野としてその存在を確立されたのはA.スミスの《国富論》に始まると一般に考えられている。《国富論》の初版は1776年に刊行されたが,書名は直訳すれば《諸国民の富の性質と原因に関する研究》であり,これは〈政治経済学political economy〉と同じ意味に用いられている(political economyの語が使われなかったのは,1767年刊のJ.スチュアートの著書にすでに使われていたからと考えられている)。…
…しかし重農主義においては,土地だけが純生産物を生むと考えられ,前貸しとしての資本の概念は確立されていたが,恒常的所得としての利潤の概念は存在しなかった。 古典派経済学の創設者は《国富論》(1776)の著者A.スミスであり,重農主義者と同じく自然法思想により自由放任を提唱,重商主義を論難した。私利の追求は価格機構のみえざる手に導かれて公益を促進するというのである。…
…イギリスの道徳哲学者,経済学者。主著《国富論》はあまりに有名。スミスという姓がイギリスではひじょうに多いので,アダム・スミスと姓・名をあわせて呼ぶのがふつうである。…
…このような心理過程を〈同感〉という概念で特徴づけ,それが安定的な社会集団の生成と維持にとって欠かせないものだと論じている。後に出版される有名な《国富論》とこの《道徳感情論》との間に,スミスの社会哲学上の大きな転換があったかどうかについての論争もある。《国富論》は経済社会全体の組織的・機構的解明を主題としており,倫理学的色彩の強い《道徳感情論》とはおのずと強調点が異なっているのはいうまでもない。…
…個々人の私益追求のエネルギーが結果的に社会全体の利益増進に役立つことを示すのに,アダム・スミスは著書《国富論》第4編第2章,および《道徳感情論》第1編第4部において,〈見えざる手に導かれてled by an invisible hand〉という表現を用いた。19世紀になると〈見えざる神のみ手〉と誇張して,独占利潤を含めた無法な私益追求までも正当化しようとする傾向を生じたが,スミスの本意では,私益追求に伴う弊害が市場での主体間競争によって除去され浄化されることを大前提としているのである。…
…しかし体系的な形では18世紀後半のA.スミスがはじめてそれを論じたといってよいだろう。スミスはその《国富論》(1776)において,労働こそが人間が自然に対して支払う〈本源的購買貨幣〉であることを明らかにするとともに,労働の量が価値の真実の標準尺度であることを指摘し,それを彼の経済学の体系の基礎に据えた。しかし,その規定が商品を生産するのに投下された労働量によるのか(投下労働価値説),それとも商品が支配することのできる労働量によるのか(支配労働価値説)を必ずしも明りょうにはしなかった。…
※「国富論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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