フランスの経済学者。重農主義の創始者。〈経済表〉(1758)の発表により,後世の経済学に大きな影響を与えた。パリの近郊メレに生まれ,パリで医学を修め,外科医学者としても著名で,この分野の著作も多数にのぼる。経済学研究を志したのは晩年で,1749年にルイ15世の愛妃ポンパドゥール夫人の侍医となり,ベルサイユ宮のいわゆる〈中2階〉に居住するようになった以降のことである。夫人の庇護(ひご)のもとに〈中2階の会合〉を催し,当時の革新的な科学者,思想家たちとともに,ひろく社会,経済の諸問題を論じた。経済学上の著作活動は,ディドロとダランベールの編集した《アンシクロペディー(百科全書)》に寄稿した〈借地農論〉(1756)と〈穀物論〉(1757)にはじまる。とくに〈経済表〉は,ケネーの経済思想の核心をなしており,後世の経済学者から経済循環図式,再生産表式,産業連関表の原型であると高く評価された。ケネーは,農業だけが〈純生産物produit net〉を産出し,製造業は土地の生産物に加工し,製品に仕上げるだけだから,資本その他の資源をできるだけ多く農業に配分することが,当時のフランス経済と財政の再建に必要だと考えた。そして当時の重商主義的な規制に反対し,産業の自由競争を内容とする自由放任政策を主張し,農業の〈純生産物〉に対する単一課税という抜本的な税制改革の採用を説いた。ケネーの周辺にはV.R.ミラボーをはじめ〈エコノミスト〉の集団が形成され,《農業・商業・財政評論》と《市民日誌》とを通じて,重農学説の普及と啓蒙に努めた。彼の経済学説は,啓蒙期の自然法思想とデカルト哲学とくにマールブランシュの哲学とを基盤にするといわれている。
今日からみると,ケネーが経済体系を構成する諸部門の間の技術的相互依存関係を明確に認識し,経済の再生産が続行しうる客観的条件を図式化したことは,イギリス古典派経済学に比べて,彼の経済学の特色ないし強みをなしており,現代経済学に対し主要構成素材の一つを提供したといえる。さらに,ケネーの〈経済表〉は単に静態モデルを表すものではなく,動態ないし発展のモデルを組織的に表明したものだという解釈が1960年代に提示され,こうした考え方が現代の経済学者によって理論的かつ政策的な観点から展開されている。
→重農主義
執筆者:菱山 泉
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フランスの経済学者。重農主義の創設者。パリの近郊メレに生まれる。パリ大学医学部などで外科学を学び、内科医との抗争によって、外科学と外科医の地位の確立に主導的な役割を果たした。医学に関する多数の論著と実践的手腕とにより名声を博したケネーは、1749年からルイ15世の愛妃ポンパドゥール夫人の侍医、ついで王の侍医をも兼ね、ベルサイユ宮殿に住む。医者として成功し、医学に研鑽(けんさん)を積んだ彼が経済学研究に転じたのは、比較的遅く、ディドロとダランベールの編集する『百科全書』に寄稿した「借地農論」(1756)および「穀物論」(1757)は、その60歳代初期の作品である。1758年にその初版が著された『経済表』は、経済現象を生産と消費の循環的過程ないしは再生産過程として表現した最初の体系的な試みであり、経済学史上不朽の地位をかちえている。ケネーによれば、経済全体の基幹は、農業を中心とする採取的第一次産業であるから、農業が生産性の高い大農経営に転換することにより、多くの「純生産物」を産出しうることが前提になる。そのためには、まず従来の重商主義的統制を排して、内外に及ぶ取引の自由体制を確立し、それとともに、既存の税制を改革して、土地の純生産物を唯一の源泉とする単一税制に変換することが必要であるとした。このように彼の唱えた重農主義は、アンシャン・レジームの政治、経済、財政に対して提示された抜本的改革案という実践的色彩の濃いものであるが、それは、一方で「自然学」の伝統にたつ実証的側面をもち、他方で近代的自然法の流れを引く規範的側面をもっている。彼の学説は、ミラボーをはじめ多くの門下からなる学派の形成にあずかったが、同時代ではチュルゴーやスミス、19世紀ではマルクス、そして現代ではレオンチェフやスラッファPiero Sraffa(1898―1983)の経済学の形成に著しい影響を与えた。
[菱山 泉]
『A・オンケン編、島津亮二・菱山泉訳『ケネー全集』1~3巻(1951~1952・有斐閣)』
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1694~1774
フランスの経済学者。『経済表』によって再生産構造の分析を創始したほか,『百科全書』にも重要な項目を寄稿。重商主義政策に反対して自由放任を説き,重農主義の祖といわれる。
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…しかし,ペティが富および価値の源泉を土地と労働の二元から究極的に労働一元に解消したのに対して,彼はそれを土地一元に解消し,ここからむしろフランス重農主義の思想的源流となった。重農学派の創設者ケネーはその学説の根本思想のみでなく,有名な〈経済表〉の着想をも彼から学んでいる。【渡辺 輝雄】。…
…経済活動のこの側面を,生体の血液循環になぞらえて,経済循環という。経済活動をこのように循環とその再帰として理解する試みを,自覚的に行った最初の人は,ルイ15世の侍医F.ケネーである。彼の試みは,その後の経済学を貫く思潮の一つとなり,現代にまで受け継がれている。…
…18世紀中葉にフランスの重農主義経済学者F.ケネーがくふうした経済循環の図式で,のちにK.マルクスの再生産表式やW.レオンチエフの産業連関表の基となった。表1がその範式formuleで,デュポン・ド・ヌムール編《フィジオクラシー》(1767)に〈経済表の分析〉とともに収められている。…
…とはいえ,なおブルジョア的個人主義にもとづく啓蒙の社会哲学の一面性,形式性は,ルソーを先駆とするロマン派の一連の共同体論による批判を呼びおこすことになる。
[経済思想]
新興市民階級の立場からする生産と流通,分配といった経済現象の分析が,ロック,ケネー,スミスらによって発展せしめられた。スミスにみられる国家による統制の排除と自由主義経済の考えは,こうした動きの一つの到達点を示すものといってよいだろう。…
…18世紀の重農主義者F.ケネーは,農業を中心とする当時の社会が生産階級(農民),地主・支配階級,不生産階級(商工業者)の3階級によって構成されるとみなし,それらの間の取引を分析することによって生産物および所得の社会的循環を解明する《経済表》を著した。全経済体系の活動を諸階級間の相互連関として包括的にとらえるというこの発想は,その後K.マルクスの再生産表式,L.ワルラスの一般均衡理論,W.W.レオンチエフの産業連関分析(〈産業連関表〉の項参照)へと受けつがれていった。…
…18世紀の後半,フランス絶対王政は,特権的独占商人や奢侈品(しやしひん)工業の保護育成を中心とするフランス型重商主義政策(コルベルティスムcolbertisme)や,金融政策を中心とする商業主義(ジョン・ローの体制)によって,経済的にも財政的にも破綻(はたん)に(ひん)し,体制的危機に直面した。その再建策として大農経営の発展を提唱したF.ケネーを創始者とし,その自然法思想や政策的主張や経済学説を祖述し発展させたV.R.ミラボー(ミラボー侯),P.S.デュポン・ド・ヌムール,メルシエ・ド・ラ・リビエール,A.N.ボードー(ボードー師),G.F.ル・トローヌ,A.R.チュルゴなどを代表者とする一団の経済学者に共通する経済思想・政策的主張・理論体系を一括して示す名称。重農思想の先駆者としてはケネーよりも前に,17世紀から18世紀初めにかけて活躍したP.Le P.ボアギュベール,J.ボーダン,R.カンティヨンなどをあげることができるが,ケネーは単なる農業重視ではなく,資本制的大農経営を重視した点で決定的に異なっている。…
※「ケネー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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