改訂新版 世界大百科事典 「古河機械金属」の意味・わかりやすい解説
古河機械金属[株] (ふるかわきかいきんぞく)
銅など非鉄金属の精錬と建設機械製造を主力とする名門企業。1989年10月に,社名を古河鉱業(株)から古河機械金属(株)に改称。その前身は1875年(明治8)に古河市兵衛が東京・深川に設立した古河本店で,同年渋沢栄一の助力を得て草倉銅山(新潟県),77年足尾銅山(栃木県)の経営を開始した。85年には官営の阿仁銅山,院内銀山(ともに秋田県)の払下げを受け,91年に永松銅山(山形県),99年久根銅山(静岡県)など多くの鉱山を稼行した。足尾銅山は1888年にそれまでの組合稼行から古河の専有となり,他の鉱山と合わせて古河の産銅量は明治年間の日本の産銅量の4~5割を占めた。その後,銅の産出量の増加とともに精錬用の木炭が不足し,代わってコークスの自給を図り,その原料確保のため94年から炭鉱経営に着手した。また1889年に電気銅,97年に電線の製造を開始した。97年本店を丸の内に移し,1905年にはそれまでの個人会社から古河鉱業会社に,11年に古河合名会社となった。その後18年に古河合名会社の鉱業部門の業務の大部分を行う古河鉱業(株)が設立され,41年には古河合名会社が古河鉱業(株)に合併した。第2次大戦後はエネルギー革命に伴い70年に石炭部門から,73年には非鉄鉱山部門から撤退し,鉱石を買って製錬するカスタムスメルターへ転進した。また化学品(酸化チタン,塗料など)と建設機械部門も比重を高めており,売上構成に占める機械部門の比率は40%に達する(2005年3月期)。資本金282億円(2005年9月),売上高1472億円(2005年3月期)。
執筆者:木村 栄宏 足尾銅山は1890年ころからの近代化により生産量を急激に増大させ,これにともなって周辺の山々をはげ山としたほか,渡良瀬川下流の農地を鉱毒の犠牲とし,足尾鉱毒事件を発生させた。この事件は第2次大戦前における最大の公害事件であるが,鉱毒そのものは実効の少ない鉱毒防止工事と,被害の最も激しい谷中村の廃村と遊水池化によって処理され,被害者側の敗北に終わった。
→公害
執筆者:加藤 邦興
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