日本大百科全書(ニッポニカ) 「金属鉱業」の意味・わかりやすい解説
金属鉱業
きんぞくこうぎょう
金属鉱物の採取に携わる産業をいい、鉱業のなかでも石炭・石油や非金属鉱物の採取と区別して扱っている。生産工程としては、(1)地下の金属資源の探査、発見、(2)採掘、(3)採掘した鉱石を選別したり、品位を高める選鉱、(4)精鉱の精錬の4段階に分かれる。
[黒岩俊郎]
金属鉱業の歴史
金属は昔から使われたが、とくに中世末から近世初頭にかけて金属鉱業が盛んになり、日本でも近世初頭には金属鉱業が発達し、佐渡、院内、生野(いくの)などの多くの金・銀・銅の鉱山が開発された。ヨーロッパでは産業革命期に入るとともに、金属需要が増大し、坑内排水や鉱石の巻き上げなどに機械力が導入され、生産量は飛躍的に増大した。19世紀後半に入ると、探査部門では磁気探査などの物理探査が始まった。また採掘・選鉱部門では、削岩機・ダイナマイトの使用や、テーブル選鉱・浮遊選鉱などの方法が登場した。またこのころ、鉱業部門における資本の集中合併、海外への進出、資源の支配が進み、いわゆる国際独占が形成された。第二次世界大戦後は、これら資源をもつ植民地諸国の多くが独立を達成し、資源を武器として工業化路線を進めている。
[黒岩俊郎]
世界の金属鉱業
金属鉱物資源は世界的に偏在している。たとえば銅鉱床は、環太平洋地帯(南北アメリカの太平洋側、日本、フィリピンなど)やアフリカの深奥部などに集中的に賦存している。またボーキサイトは赤道の周辺部に賦存する。そのため世界の大企業は、これらの地域の資源を押さえることに狂奔し、20世紀に入ると巨大独占体が形成された。銅部門では、アナコンダ、ケネコット、フェルプス・ドッジ、アサルコなど、主としてアメリカ系企業が支配し、アルミ部門では、アルコア、レイノルズ、カイザー、アルキャン、ペシネイなどの欧米系の企業が支配している。これらの国際独占は、単に資源のみならず、それぞれの金属の生産・加工・流通の面でも世界を支配している。しかし第二次世界大戦後の一つの傾向として、開発途上国では資源ナショナリズムの高揚がみられ、たとえば、1968年には、チリ、ペルー、ザンビア、ザイール(現コンゴ民主共和国)の4か国が集まり銅輸出国政府間協議会(CIPEC、シーペック)を結成し、資源の保全や価格の適正化に乗り出している。また南アメリカでは、アメリカ系企業を接収し、国有化を進めるなどの動きがみられる。その他の生産国機構として、ボーキサイト生産国機構、鉄鉱石輸出国機構、水銀生産国グループがある。一方、1870年代にその存在が知られたマンガン団塊という鉱物資源が、1960年代になって太平洋などの深海部に膨大な量で存在することがわかってきたほか、同じ1960年代には深海の熱水鉱床という新たな海洋鉱物資源の存在も明らかになり、世界の金属系企業がその開発・利用に乗り出している。
[黒岩俊郎]
日本の金属鉱業
日本では大規模な鉱床がなく、また地質学的特徴として、鉱床の構造が複雑で種類が多い。そのため、鉱物の種類は非常に多いが、その埋蔵量は非常に少ない。また鉱物には不純物が多く含まれており、質的にも恵まれていない。ただ銅資源だけは比較的豊富であったが、1950年代にほとんどの銅鉱山で資源の枯渇が進み、閉山が相次いだ。かわって1960年代から海外資源の輸入が始まり、現在ではほとんどの金属企業が海外資源に依存している。欧米の企業と違って、日本の金属鉱業は海外資源開発の経験が浅いため、海外資源の確保の面で後れをとっているが、近年の傾向として、数社が共同で海外資源の開発を行っているほか、探鉱技術の提供と引き換えに、中・長期にわたる鉱産物資源の確保が目ざされている。
2007年(平成19)の時点で、日本には11の金属鉱業の鉱山があり、鉱山労働者数は847人である。1970年(昭和45)の246鉱山、3万3851人に比べると激減していることがわかる。
[黒岩俊郎]