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只野真葛 ただの まくず

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

只野真葛 ただの-まくず

1763-1825 江戸時代中期-後期の随筆家。
宝暦13年生まれ。工藤平助の長女。江戸にそだち,仙台藩の奥づとめののち,寛政9年35歳で仙台藩士只野行義の後妻となり,仙台に移り住む。和文,和歌にすぐれ,滝本流の書をよくした。滝沢馬琴に批評をたのんだ経世論「独考(ひとりかんがえ)」がある。文政8年6月26日死去。63歳。名は綾子。著作はほかに「松島紀行」「むかしばなし」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

只野真葛

没年:文政8.6.26(1825.8.10)
生年:宝暦13(1763)
江戸中期,仙台藩医で『赤蝦夷風説考』の著者工藤平助の娘。名は綾子。江戸生まれ。明和9(1772)年10歳で大火に遭い,苦しむ貧民に心を寄せ,のちのちまで続く経世済民の志を抱く。荷田蒼生子に古典を学び,村田春海に和文の才を認められ,また滝本流の書もよくした。仙台藩に奥勤めののち,家へ帰り母なきあとの家政をみる。36歳で,落ちぶれた工藤家復興を期して仙台藩士,1200石の只野伊賀行義の後妻となり仙台へ下る。江戸勤めの多い夫の留守を守りながら思索にふけり,55歳のとき,胸の想いを全3巻にまとめ『独考』と題して江戸の滝沢馬琴に送り,批評と出版を依頼する。馬琴は禁忌にふれる部分もあると出版に反対し,自ら『独考論』を著し真葛の論に反撃した。また,真葛の事跡がある程度明らかとなっているのは,馬琴が『兎園小説』に書き留めたゆえである。真葛は体系的な学問をしたわけではないが,国学,儒学,蘭学などのうえに独自の思想を築いていった。『独考』は偏りもあるが,江戸期の女性の手になる社会批判書であり,女性解放を叫ぶ書として評価できよう。<著作>『磯づたひ』『むかしばなし』<参考文献>中山栄子『只野真葛』,関民子『江戸後期の女性たち』

(柴桂子)

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世界大百科事典 第2版の解説

ただのまくず【只野真葛】

1763‐1825(宝暦13‐文政8)
江戸時代の女流文学者。別号綾女。名はあや子。仙台藩医工藤平助の娘で,一時藩侯に仕え,のち藩士只野行義の妻となった。著作に東奥紀行の《磯都多比(いそづたい)》,文集《むかしはなし》《不問(とわず)かたり》など。また東北地方の奇談を集めた《奥州波奈志(おうしゆうはなし)》もある。諸藩の政治を論じた《独考》は,曲亭馬琴をして〈真葛の老女(おうな)は男魂(おだま)ある者にて,其の才もすぐれたり〉と感嘆せしめている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

只野真葛
ただのまくず
(1763―1825)

江戸後期の文学者、思想家。名はあや子(綾子・文子。まちとも)。仙台藩医で、ロシアとの交易を主張した『赤蝦夷風説考』(あかえぞふうせつこう)の著者工藤平助の長女として、江戸築地に生まれ、出入りする蘭学者・国学者を身近に見て育つ。9歳で女の手本を、10歳で経世済民を志す。16歳から10年間奥女中奉公。27歳の初婚に破れ、35歳で工藤家を継ぐ弟のために仙台藩士只野伊賀と再婚し、仙台に下る。45歳のとき、その弟を亡くし、苦悶する。49歳から翌年にかけて、自らが見聞した父をはじめとする家族や周辺の人々について記した『むかしばなし』を執筆。55歳のとき、江戸後期の社会と人間を考察し批判した『独考』(ひとりかんがえ)を著す。支配的な価値観にとらわれない、大胆で独創的な著作である。その出版を企図して曲亭馬琴に添削と助力を依頼。だが、はじめ好意的だった馬琴から、9か月後、猛烈な反駁の書『独考論』を送られて、再び世に問うことなく、仙台で没した。[関 民子]
『鈴木よね子校訂『只野真葛集』(1994・国書刊行会) ▽関民子著『只野真葛』(2008・吉川弘文館)』

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