日本大百科全書(ニッポニカ) 「只野真葛」の意味・わかりやすい解説
只野真葛
ただのまくず
(1763―1825)
江戸後期の文学者、思想家。名はあや子(綾子・文子。まちとも)。仙台藩医で、ロシアとの交易を主張した『赤蝦夷風説考』(あかえぞふうせつこう)の著者工藤平助の長女として、江戸築地に生まれ、出入りする蘭学者・国学者を身近に見て育つ。9歳で女の手本を、10歳で経世済民を志す。16歳から10年間奥女中奉公。27歳の初婚に破れ、35歳で工藤家を継ぐ弟のために仙台藩士只野伊賀と再婚し、仙台に下る。45歳のとき、その弟を亡くし、苦悶する。49歳から翌年にかけて、自らが見聞した父をはじめとする家族や周辺の人々について記した『むかしばなし』を執筆。55歳のとき、江戸後期の社会と人間を考察し批判した『独考』(ひとりかんがえ)を著す。支配的な価値観にとらわれない、大胆で独創的な著作である。その出版を企図して曲亭馬琴に添削と助力を依頼。だが、はじめ好意的だった馬琴から、9か月後、猛烈な反駁の書『独考論』を送られて、再び世に問うことなく、仙台で没した。
[関 民子]
『鈴木よね子校訂『只野真葛集』(1994・国書刊行会)』▽『関民子著『只野真葛』(2008・吉川弘文館)』