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滝沢馬琴 たきざわ ばきん

百科事典マイペディアの解説

滝沢馬琴【たきざわばきん】

曲亭馬琴

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

滝沢馬琴 たきざわ-ばきん

1767-1848 江戸時代後期の戯作(げさく)者。
明和4年6月9日生まれ。山東京伝の門にはいり,京伝の代作や黄表紙を執筆。「復讐―月氷奇縁」で文名をたかめ,以後読み本を量産する。途中でほとんど失明しながら嫁の路の代筆で大作「南総里見八犬伝」を文化11年より28年をかけて完成させた。嘉永(かえい)元年11月6日死去。82歳。江戸出身。幼名は倉蔵。名は興邦(おきくに),のち解(とく)。通称は清右衛門。戯作号に曲亭馬琴,著作堂主人,蓑笠漁隠。作品に「椿説(ちんせつ)弓張月」「近世説美少年録」,随筆に「燕石雑志」「玄同放言」など。
【格言など】八犬伝は江戸の花(殿村安守あての手紙)

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朝日日本歴史人物事典の解説

滝沢馬琴

没年:嘉永1.11.6(1848.12.1)
生年:明和4.6.9(1767.7.4)
江戸後期の読本・合巻作者。旗本松平信成の用人滝沢興義の5男。母もん。名は興邦,のち解。別号,曲亭,著作堂主人,蓑笠漁隠,玄同など。 馬琴の性格をひと口でいうと,まじめな努力家ということになろう。寛政2(1790)年,山東京伝に入門した若いころは,爛熟・頽廃の極に達していた江戸中・末期の世相に影響されて,柄にもない艶物種に手を染めたり,私生活面でも手っとりばやく経済的な安定を得ようとして下駄屋の入婿になり,家付き娘のお百と愛もない結婚をしたあげく,妻の無知につけこみ,本来なら入夫先の姓を名乗るべきところを滝沢姓のまま押し通し,はては作者に転業してしまうというような,不徳義なことをしてのけている。 しかし持って生まれた気性の堅苦しさ,雑学的な教養を誇示したがる性癖が妨げとなって黄表紙や草双子のたぐいでは成功せず,能力にもっとも合った読本の分野ではじめて名をなした。『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』などの刊行がそれである。 お百との結婚にしても,初めの動機は不純で「愚痴蒙昧な市井の愚婦」とののしり歎きながらも,一生涯そんな女房ひとりを守って浮気をせず遊所通いもせず,酒・賭博・芝居その他の遊びごとに溺れもせずに,趣味は読書。唯一の贅沢は安タバコをくゆらすだけ……。あとは終日机に向かって仕事をしつづけ,ほとんど筆一本で家計を支えていたのだから,まず模範的な家父長といえると思う。 滝沢家は,渡りお徒士の家系にすぎないのに,曲りなりにも武家の出だという意識が,町人出身の作家とくらべて,馬琴の強い誇りであり,考え方や言動の根底となっていた。生粋の都会人でもあったから,無作法な隣家などからこうむる迷惑には敏感に反応し立腹する代わりに,他家に迷惑をおよぼすまいとする町住まいの潔癖さ,近所づきあいの義理は欠かさない。 馬琴の最大の不幸は,天保6(1835)年跡とりのひとり息子宗伯に先立たれたことだろう。妻も娘も嫁もひとしく「女子と小人は養いがたし」と見ていた馬琴にすれば,いくらかは学問もあり,父を尊敬し,助手を勤めてくれてもいた愛息の死は,大きな打撃であった。残された孫の養育までが老いの肩にのしかかったのだ。 もうひとつの不幸は,長年月に亘る酷使の結果,晩年に至って失明したことだった。幾人も代筆者を替えたが気に入らず,宗伯と死別したお路に文字を教えながら,嫁も舅も血のにじむ苦労の末に,天保13年『南総里見八犬伝』を完結させた。さすがにお路に対してだけは女性軽視の認識を改め,人を褒めない馬琴が『南総里見八犬伝』の末尾で,その努力を讃えている。 やはり晩年,親しく交際していた渡辺崋山が,蘭学者弾圧のあおりを受けて罪に落ちるという事件があったが,このとき馬琴は,助命歎願への参加を拒絶している。保身のエゴイズムと同時に,「お上の定めた法に抵触する者は非なり」と断じたからで,馬琴の思想信条の,ここらが限界といえるだろう。こうした欠点や短所が多々あるにせよ,ともあれ「書く」という営為に没入して終わった一生は真率だし涙ぐましい。トータルとしては愛すべき人物と評せるのではあるまいか。

(杉本苑子)

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江戸・東京人物辞典の解説

滝沢馬琴

1767〜1848(明和4年〜嘉永元年)【読本作者】失明の逆境で執筆を続け、『南総里見八犬伝』を28年をかけて完結。 読本作者。江戸深川出身。曲亭馬琴とも。1790年、山東京伝の門に入る。滑稽本よりも物語性が強い読本を、山東京伝とともに次々と発表、第一人者となる。後年は、天保の改革による弾圧や自身の失明などの逆境の中にあって『南総里見八犬伝』を28年かけて完成させた。ほか、「椿説弓張月」「近世説美少年録」などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

滝沢馬琴
たきざわばきん

[生]明和4(1767).6.9. 江戸
[没]嘉永1(1848).11.6. 江戸
江戸時代後期の小説家。本名,興邦 (おきくに) ,のちに解 (とくる) 。号,曲亭,著作堂主人,蓑笠漁隠 (さりゅうぎょいん) ,玄同,信天翁など。父は深川の松平信成家の用人。 14歳で主家を出奔,徒士 (かち) 奉公などで放浪の末,寛政2 (1790) 年秋,山東京伝に入門,同3年大栄山人の名で黄表紙『尽用而二分狂言 (つかいはたしてにぶきょうげん) 』を発表。同5年飯田町の履物商に入り婿,かたわら著述に専念。のち読本に転向,後期読本界の第一人者となり,長編読本に新生面を開いた。主著,読本『椿説弓張月 (ちんせつゆみはりづき) 』『南総里見八犬伝』『近世説美少年録』,合巻『傾城水滸伝』 (1825~35) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

滝沢馬琴
たきざわばきん

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367日誕生日大事典の解説

滝沢馬琴 (たきざわばきん)

生年月日:1767年6月9日
江戸時代中期;後期の読本・合巻作者
1848年没

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世界大百科事典内の滝沢馬琴の言及

【曲亭馬琴】より

…江戸後期の読本,合巻,黄表紙作者。本名滝沢興邦(おきくに),のち解(とく)。幼名は倉蔵また左七郎。通称清右衛門,笠翁また篁民。戯作号に,曲亭馬琴,著作堂主人,飯台陳人,玄同陳人,大栄山人,蓑笠漁隠(さりつぎよいん),信天翁など。狂名,変名は曲わの馬ごと,傀儡子清友,魁雷陳人など多数。1767年旗本松平信成の用人を務める滝沢運兵衛興義の五男として,江戸深川海辺橋東の松平屋敷内長屋で生まれた。ときに父43歳,母門(もん)30歳,長兄興旨(のち羅文)9歳,仲兄興春3歳。…

※「滝沢馬琴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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