吉備氏の反乱(読み)きびうじのはんらん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉備氏の反乱」の意味・わかりやすい解説

吉備氏の反乱
きびうじのはんらん

『日本書紀』に3種の反乱伝承があり、大化前代の吉備勢力が近畿勢力と並ぶ有力な位置を占めていたことを示す。雄略(ゆうりゃく)天皇7年8月条では、吉備下道臣前津屋(きびのしもつみちのおみさきつや)が、大女や大雄鶏を自分に、小女や小禿雄鶏を雄略に見立てて戦わせ、雄略に見立てた側が勝つと殺しているのを雄略が聞き、物部(もののべ)30人を遣わして前津屋一族70人を誅滅(ちゅうめつ)したとある。雄略天皇7年是歳条では、吉備上道臣田狭(きびのかみつみちのおみたさ)が宮廷で妻の稚媛(わかひめ)の美しいことを自慢するのを聞いた雄略は、田狭を任那(みまな)国司に派遣して稚媛を奪った。これを知った田狭は新羅(しらぎ)と結んで雄略に対抗しようとしたが、結局は果たさなかった。清寧(せいねい)天皇即位前紀では、雄略の死後、稚媛がその子の星川(ほしかわ)皇子大王にしようとして大蔵(おおくら)を占領するが、大伴室屋(おおとものむろや)らによって殺され、星川を応援しようとした上道氏が軍船40艘(そう)を送るがまにあわず、かえってその所有する山部(やまべ)を奪われた、とある。

吉田 晶]

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改訂新版 世界大百科事典 「吉備氏の反乱」の意味・わかりやすい解説

吉備氏の反乱 (きびうじのはんらん)

《日本書紀》に3種の伝承を載せている。雄略7年8月条では,吉備下道前津屋(さきつや)が宮廷に宦者(とねり)として仕えていた弓削部虚空(おおそら)を帰郷時に留使したが,雄略天皇によって召還される。前津屋が大女や大雄鶏を自分に,小女や小禿雄鶏を雄略に見立てて戦わせ,雄略の側が勝つとこれを殺しているのを虚空から聞いた雄略は,物部30人をして一族70人を誅滅した。雄略7年是歳条では,吉備上道田狭(たさ)が宮廷で妻の稚媛(わかひめ)を自慢するのを聞いた雄略は,田狭を任那国司に派遣して稚媛を奪った。これを知った田狭は新羅と結んで対抗しようとした。清寧即位前紀では,雄略の死後,稚媛が子の星川皇子を大王にしようとして大蔵を占領するが,大伴室屋らによって皇子は殺される。稚媛らを応援しようとした上道臣らは軍船40艘をさしむけるが間に合わず,かえってその山部を奪われた。3種とも王権奪への志向性をもつが,その失敗が吉備氏没落の原因となった。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「吉備氏の反乱」の解説

吉備氏の反乱
きびうじのはんらん

吉備氏による5世紀の反乱伝承。吉備の諸豪族は,椿井(つばい)大塚山古墳(京都府木津川市)出土鏡と同笵の三角縁神獣鏡をもつ湯迫(ゆば)車塚古墳(岡山市)の存在や,日本武(やまとたける)尊の従者であった吉備武彦など,比較的大和王権に対し協力的だったことが知られる。だが5世紀後半の雄略朝には,むしろ反乱伝承が多い。「日本書紀」雄略7年,吉備下道臣前津屋(さきつや)は天皇に不敬を行ったため物部の兵士に滅ぼされ,妻の稚媛(わかひめ)を雄略に奪われた吉備上道臣田狭(たさ)も任那で反し,派遣された田狭の子の弟君(おときみ)も田狭に通じたので,その妻に殺された。さらに雄略没後,稚媛が生んだ星川皇子も皇位をのぞみ,上道臣一族がこれを支援したので,大伴室屋(むろや)らに滅ぼされたという。これらを事実の反映とする説もあるが,大和王権の全国平定を強調する「日本書紀」の編纂姿勢,とくに物部・大伴氏らにより造作されたとする説もある。

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