吉武泰水(読み)ヨシタケ ヤスミ

20世紀日本人名事典 「吉武泰水」の解説

吉武 泰水
ヨシタケ ヤスミ

昭和・平成期の建築家 東京大学名誉教授;筑波大学名誉教授;元・日本建築学会会長。



生年
大正5(1916)年11月8日

没年
平成15(2003)年5月26日

出生地
大分県来浦町

学歴〔年〕
東京帝大工学部建築学科〔昭和14年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔昭和31年〕

主な受賞名〔年〕
日本建築学会賞〔昭和30年〕,日本建築学会大賞〔昭和42年〕,紫綬褒章〔昭和56年〕,勲二等旭日重光章〔平成1年〕

経歴
昭和14年大蔵省営繕管財局嘱託、17年東京大学助教授、34年工学部教授を経て、48年筑波大学副学長。52年芸術学系長、同年東京大学名誉教授、53年九州芸術工科大学学長に就任。61年退官し、平成10年まで神戸芸術工科大学学長を務めた。この間、昭和52年から2年間、日本建築学会会長。建築計画学の草分け的存在として知られ、公営住宅ダイニングキッチンを考案し、“2DK”の育ての親と言われる。成蹊小学校、東京大学附属病院など学校、病院の設計を数多く手がけた。また「新首相官邸の基本設計に関する有識者会議座長も務めた。主著に「建築計画学への試み」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉武泰水」の意味・わかりやすい解説

吉武泰水
よしたけやすみ

[生]1916.11.8. 大分
建築学者,建築家。現国会議事堂の意匠を担当した吉武東里長男として生れる。 1939年東京帝国大学建築学科卒業。同大学助教授 (1942) ,教授 (59) を経て,74年筑波大学副学長。以後,九州芸術工科大学,神戸芸術工科大学の学長を歴任公共建築の計画,特に病院建築計画の権威として知られる。建築計画学という学問分野の設立と体系化に大きな功績があり,多くの建築計画研究者を育てた。作品に,茨城県立中央病院 (56) ,東大病院全体計画 (60) ,青山病院 (60) ,栃木ガンセンター (71) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉武泰水」の解説

吉武泰水 よしたけ-やすみ

1916-2003 昭和-平成時代の建築学者。
大正5年11月8日生まれ。大蔵省営繕管財局をへて,昭和34年東大教授となる。48年筑波大副学長,53年九州芸術工大学長,平成元年神戸芸術工大学長。建築計画学の草分けのひとり。昭和63年建築学会大賞。公営住宅設計でダイニングキッチンを提案したことで知られ,集合住宅,学校,病院の設計がおおい。日本建築学会会長,新首相官邸の基本設計を検討した有識者会議の座長もつとめた。平成15年5月26日死去。86歳。大分県出身。東京帝大卒。著作に「建築計画学への試み」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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