日本歴史地名大系 「吉田浜」の解説 吉田浜よしだはま 宮城県:宮城郡七ヶ浜町吉田浜[現在地名]七ヶ浜町吉田浜・汐見台(しおみだい)町の北東部に位置し、花淵浜の館(はなぶちはまのたて)崎と吉田浜の寺山(てらやま)が松島湾に突出し、それらの基部から防波堤をもって構築した花淵吉田港を形成、花淵浜と海浜を同じくしている。吉田浜の海岸はさらに北に延び、前塚(まえづか)の白砂と波多崎(はたざき)・沢尻(さわじり)の屈曲した海岸線をもって代(よ)ヶ崎浜(さきはま)に続く。「安永風土記」によると地名の由来は、この地に鎮座する吉田明神社にちなむという。同書によると田一七貫九三九文・畑三貫五四三文、一円蔵入地で肝入が置かれ、人頭五四人・家数五七(うち借屋三)、男一七三・女一四四、馬三六、船二五(小晒船四・さっぱ船一一・小船一〇)。吉田明神社は集落の北方に鎮座、勧請の年月は不明。祭神は猿田彦神で、もと塩竈神社の末社。 吉田浜よしだはま 愛媛県:松山市石手川下流域(旧温泉郡の大部分)南吉田村吉田浜[現在地名]松山市南吉田町伊予灘に面する南北吉田町の間、約三キロの砂丘を吉田浜といい、かつては美しい松原であった。伊予節に歌われた「吉田挿桃(さしもも)」はこの浜に由来する。桃を挿しておくとすぐに芽が出て花がつくといい、また宝暦年間(一七五一―六四)に高潮が押し寄せて桃畑が砂で埋められ、枝が地上に出た情景が桃を挿したようにみえたためともいう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by