吉田用水(読み)よしだようすい

日本歴史地名大系 「吉田用水」の解説

吉田用水
よしだようすい

栃木県内の鬼怒きぬ川より取水し、栃木県小山市東部を経て結城市・結城郡八千代町・同石下いしげ町を貫流して水海道みつかいどう市で東仁連ひがしにれ川に合流し、菅生すがお沼に注ぐ。

享保年間(一七一六―三六)飯沼新田いいぬましんでん開発に伴って開削され、幕府勘定方で飯沼新田開発の奉行であった井沢弥惣兵衛為永や尾崎おさき(現八千代町)の名主秋葉左平太らが完成に尽力した。「飯湖新発記」によれば享保八年九月から調査が始められ、同書所収の「飯沼新田用水、野州吉田村より鬼怒川新井御普請相始り候事」に「弥惣兵衛様ニハ結城町ニ御役所御取立被成、飯沼用水御普請御積リ立被成、是ハ十二月廿一日吉日ニ付、結城町神明山下之御丁場御鍬初有之候」とあり、結城に事務所を設置し、同九年一二月に起工され、「吉田用水沿革」などによれば翌年七月竣工。

吉田用水
よしだようすい

幕府の享保の改革の一環としての新田開発奨励に基づき、利根川・鬼怒川の間で、現在の茨城県猿島さしま三和さんわ町・結城ゆうき石下いしげ町にあったいい沼の開発が計画された。この新田の用水として吉田用水が開削された。享保八年(一七二三)九月幕府代官井沢弥惣兵衛為永が、鬼怒川からの用水取入口にあたる篠原しのはら村・舟戸ふなど村の実地見分を行った。新用水は鬼怒川の水を川に落し、少し下流で田川から用水路へ引入れる計画であった。同年の五十里洪水で鬼怒川が田川寄りに欠込み、両川が合流して洪水の危険が加わった。同年一一月には両村は水害を恐れて反対し、実情を再見分するよう出願している(「場所再見願」吉田金平文書)。そこで用水は田川へは落さず、田川の下をくぐらせることになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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