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名古屋城跡 なごやじょうあと

国指定史跡ガイドの解説

なごやじょうあと【名古屋城跡】


愛知県名古屋市中区本丸ほかにある城跡。名古屋城は、関ヶ原の戦い後の1610年(慶長15)に徳川家康が幕府の東海道における要所として、また大坂(大阪)方への備えとして清洲(きよす)(現清須市)から名古屋への遷府を決定し、加藤清正や福島正則、前田利光などの諸大名20人に普請を命じて、1612年(慶長17)にほぼ完成した平城である。その後、明治維新まで徳川御三家の筆頭、尾張家の居城として栄えた。第2次大戦中の1945年(昭和20)、名古屋空襲の際には大・小天守や本丸御殿をはじめ建物のほとんどを焼失したが、焼失をまぬがれた3つの櫓(やぐら)(西北、西南、東南)と3つの門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)、本丸御殿の障壁画の大部分は、重要文化財として現在に伝えられている。西南隅櫓(すみやぐら)は、屋根2層、内部3階で外部に面した西面と南面には軍事用の「落狭間(おとしはざま)」を張り出し、屋根は千鳥破風(ちどりはふ)で擬装している。この櫓は濃尾大地震で石垣とともに崩壊したが、1923年(大正12)に宮内省によって修理・復旧され、鬼瓦などに菊花紋が見られる。西北隅櫓は屋根3層、内部3階の最上層は入り母屋造り、本瓦葺きで、清須城の古材を数多く用いて建造された。1階の外壁の西面と北面には出張った落狭間を設け、屋根を千鳥破風で擬装していて、現存する他の隅櫓とは異なり、内側の東面と南面にも千鳥破風を設けて荘厳で安定感がある。また、大天守と小天守を連絡する剣塀は石垣を築き、左右両側に土塀を設けて通路の防備とし、さらに外部に面する西側には軒桁(のきげた)に30cm余の槍の穂先を並べて忍び返しとし、外敵に備えた。西之丸や御深井丸など郭(くるわ)の接するところには、「鵜()の首」と呼ばれる防衛のための堀を設けており、現在、5ヵ所が残っている。1932年(昭和7)に国の史跡に指定され、1935年(昭和10)に一部追加指定、1952年(昭和27)にはこれまでの本丸とその周囲の堀、二之丸周囲の堀、三之丸の土塁と空堀に加えて、名古屋城二之丸庭園を含む二之丸内部と三之丸土塁のうち東北の未指定部分を追加して、特別史跡に指定された。市営地下鉄名城線市役所駅から徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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