名越村(読み)なごせむら

日本歴史地名大系 「名越村」の解説

名越村
なごせむら

[現在地名]貝塚市名越

清児せちご村の南にある南郡の村。ナゴシともいう。木島きのしま谷五ヵ村の一つで、近木こぎ川河成段丘の台地上にあり、集落内を水間みずま街道が通る。慶長九年(一六〇四)木之嶋谷ノ内名越村御検地帳(東京大学史料編纂所蔵)によれば村高は四八〇石余で、このうち二二石余は文禄四年(一五九五)二月の池築造により池底となり、また五六石余は荒である。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳によれば高五七七石余(うち山年貢二石余・茶年貢二斗余)で、日根郡橋本はしもと村域にある明原あけのはら出作九四石余は当村からの出作である(泉州志補遺)。いずれも江戸時代を通じて岸和田藩領。元禄初年の綿作付率は二割で(同書)、元禄一〇年(一六九七)の名越村中番年貢勘定目録(塔助家文書)に「丑六月より干か代御拝借七ケ月元利共」として米二石余を上納しているが、この干鰯は先の綿作の肥料に用いられたとも考えられる。


名越村
なごしむら

[現在地名]長浜市名越町

布施ふせ村の北、よこ山西麓にある。古代からの寺院名超みようちよう(名越寺)があり、「夫木抄」に「夏はつるけふやなごしの御祓河川辺の風は涼しかりけり」とある。寛永石高帳に高五〇七石余とあり、彦根藩領。寛文四年(一六六四)の彦根領分高帳(間塚文書)によれば定免で五ツ八分。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば、男一二六・女一二六、寺社方男七・女五。


名越村
なごえむら

[現在地名]芳井町花滝はなだき

花滝村の東に位置し、東は星田ほしだ(現小田郡美星町)など。寛永備中国絵図には山崎家治先知とあり、高六八石余。その後の領主変遷簗瀬やなせ村と同じであったと思われる。正保郷帳には柴山・草山ともに少ないと注記される。延宝五年(一六七七)の検地帳(後月郡誌)には古検反別八町六反余とあり、田方四町八反余・分米五五石余、畠方五町六反余・分米三四石余、屋敷三反余・分米三石余で紙漉役銀一匁五分(三帖分)を上納し、茶一七一株の栽培がみられる。


名越村
なこえむら

[現在地名]鳳来町名越

三輪みわ川左岸の段丘上に集落があり、能登瀬のとせ村の北東に接する。村に伝わる獅子舞神楽は、神楽芝居が鎮守社近くの舞台で三番叟代りの悪魔払の獅子舞から始まり、名越神楽の特技ともいうべき、「ひら仮名盛衰記」四段目の「無間の鐘」、「芦屋道満大内鑑」四段目「葛の葉子別れ」とが演じられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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