和気王(読み)わけのおう

改訂新版 世界大百科事典 「和気王」の意味・わかりやすい解説

和気王 (わけのおう)
生没年:?-765(天平神護1)

天武天皇の曾孫舎人親王の孫,御原王の子。755年(天平勝宝7)岡真人の姓を賜い因幡掾。759年(天平宝字3)舎人親王崇道尽敬皇帝追尊したとき正六位上から従四位下,さらに内匠頭となる。761年節部(大蔵)卿になるまでに和気王に復す。763年伊予守,翌年従四位上,9月藤原仲麻呂の乱を告発し,従三位参議兵部卿,10月淳仁天皇を中宮院に包囲して廃立に関与した。765年1月勲二等,3月功田50町を受けたが,藤原仲麻呂の乱後の処置に不満があったらしく,8月謀反に座し,その夜逃れて現在の奈良市内の率河(いざかわ)社にかくれたが捕らえられ,伊豆国に流される途中山背国相楽郡で絞され,狛野に埋められた。紀益女,粟田道麻呂大津大浦,石川永年が共犯で処罰されている。称徳天皇を倒して皇位につき,流罪の諸王を召喚するという計画があったとされている。771年(宝亀2)連座した和気王の男女が罪を解かれた。
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朝日日本歴史人物事典 「和気王」の解説

和気王

没年天平神護1(765)
生年:生年不詳
奈良時代皇族。舎人親王の孫。三原王の子。一時岡真人の姓を賜ったが,のち王に復籍。天平宝字8(764)年,藤原仲麻呂の謀反を事前に告げ,その功により従三位,参議,兵部卿に昇進。淳仁天皇廃位の際,同年10月9日,兵部卿和気王らは天皇がいる中宮院を囲んだ。天平神護1(765)年,称徳天皇に皇嗣がないことから,自ら皇位を望み粟田道麻呂,大津大浦,石川永年らと謀反を計画したが発覚。逃走中率川社(奈良市)で逮捕,伊豆国(静岡県)へ配流の途次,山背国相楽郡で絞殺され,狛野(京都府精華町)に葬られた。子に大伴,長岡,名草,山階,采女の諸王がいる。

(増渕徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和気王」の解説

和気王 わけおう

?-765 奈良時代,三原王の王子。
舎人(とねり)親王の孫。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7年岡真人(おかのまひと)の氏姓をあたえられたが,のち王に復し和気王となる。従三位,参議,兵部卿にのぼる。称徳天皇の皇嗣問題で謀反をはかって捕らえられ,天平神護(てんぴょうじんご)元年8月伊豆(いず)配流の途中絞殺された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和気王」の意味・わかりやすい解説

和気王
わけのおう

[生]?
[没]天平神護1(765).8.1. 山城
舎人親王の孫御原王の子。天平勝宝7 (755) 年岡真人の姓を賜わったが,天平宝字3 (759) 年旧籍に復した。同8年には参議従三位に進み,翌年勲二等を授けられ功田 50町を賜わったが,謀反を企ててとらえられ,伊豆へ配流の途中絞殺された。

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