改訂新版 世界大百科事典 「和気真綱」の意味・わかりやすい解説
和気真綱 (わけのまつな)
生没年:783-846(延暦2-承和13)
平安初期の官人。清麻呂の子,広世,仲世の兄弟。本姓は磐梨別(いわなすわけ)。兄弟ともに桓武天皇のもとで政界に活躍した。若くして大学寮に学び,文章生に補せられ,803年(延暦22)内舎人(うどねり)に任ぜられ,その後蔵人,内蔵頭,国守などを歴任した。兄広世は父の志をつぎ大学別曹弘文院をたてたが,同じころ真綱と広世は父の事業をつぎ高雄山に神護寺を建立し,最澄の法会を設け,その唐より帰朝後は灌頂の法壇を設立した。つづいて真綱は弟仲世とともに,空海の帰朝後〈金剛灌頂〉の法会を設け,進んでこれをうけた。このように広世は最澄の,真綱は空海の外護者として,天台・真言両宗を興隆させた。しかし桓武天皇没後の846年伴善男のからむ法隆寺僧善愷(ぜんがい)訴訟事件にまきこまれ,不正裁判に抗し孤直を守り,病なくして没したとみえる。時に参議・右大弁,従四位上で,年64。その伝に,性格は敦厚,忠孝ともに資あり,政務に邪枉なしと評された。
執筆者:平野 邦雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報