弘文院(読み)こうぶんいん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

弘文院
こうぶんいん

平安時代初期,和気氏子弟を教育するために設けられた,日本最初の私学校。大学別当和気広世が父磨呂の遺志を継いで,大学寮の南にあった私宅を学校としたもの。延暦後期~大同初期 (800~808) の頃の創立という。以後 80年間ぐらい続いたことは確かと思われるが,10世紀末には荒廃していた。

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百科事典マイペディアの解説

弘文院【こうぶんいん】

9世紀初め和気広世(わけのひろよ)が父清麻呂の遺志を継いで私宅に設けた大学別曹(べっそう)。数千巻の儒仏の書を収める。貴族の子弟教育機関の最初。和気氏の衰微とともに廃絶。→和気清麻呂

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世界大百科事典 第2版の解説

こうぶんいん【弘文院】

和気清麻呂の長子広世が,平安初期(9世紀の初め)に大学別当(大学頭にあたるか)の職にあって大学教育につくすとともに,平安京大学の南にあった私宅を開いて設けた大学別曹(べつそう)。内外経書数千巻を蔵し,墾田30町を学料にあて,父の志をまっとうしたという。大学の南にはその後藤原氏の勧学院,王氏の奨学院が隣りあって開かれ(橘氏の学館院だけは離れていた),弘文院は和気氏諸生の別曹であったというから,平安時代初期に有力な氏族によって建てられた大学別曹(かつては私立学校とされたが,今では説が改められた)の一つ,しかもその中でもっとも古いものであり,和気氏出身の大学の生徒が,ここに寄宿し,勉学し,大学に通ったかと想像される。

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大辞林 第三版の解説

こうぶんいん【弘文院】

和気氏の私塾。延暦年間(782~806)、和気広世が父清麻呂の遺志をついで私宅に開設。大学別曹の最古のものだが、早く廃絶した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

弘文院
こうぶんいん

平安時代、和気(わけ)氏のための大学別曹(べっそう)。和気清麻呂(きよまろ)の長子広世(ひろよ)が8世紀末か9世紀初めに、大学寮の南にあった私宅に創設した。大学別曹としてはもっとも古いもの。和気氏出身の学生(がくしょう)を寄宿させ、書籍数千巻を所蔵して、学生はその蔵書で自習し、大学に通って講義、課試を受けた。墾田40町をもってその経費にあてた。885年(仁和1)菅原道真(すがわらのみちざね)がここに宿泊し、その詩が『菅家文草(かんけぶんそう)』にあるので、9世紀末までは存在したとみられるが、その後まもなく廃絶したらしい。[大塚徳郎]
『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店)』

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世界大百科事典内の弘文院の言及

【大学別曹】より

…大学寮の南に近接して設けられたものは,大学寮南曹とも呼ばれた。大学別曹には,和気氏の弘文院,藤原氏の勧学院,橘氏の学館院,源氏など王氏の奨学院がある。別当,知院事などの職員が置かれ,いずれも各氏族の財源によって運営された。…

【和気真綱】より

…若くして大学寮に学び,文章生に補せられ,803年(延暦22)内舎人(うどねり)に任ぜられ,その後蔵人,内蔵頭,国守などを歴任した。兄広世は父の志をつぎ大学別曹弘文院をたてたが,同じころ真綱と広世は父の事業をつぎ高雄山に神護寺を建立し,最澄の法会を設け,その唐より帰朝後は灌頂の法壇を設立した。つづいて真綱は弟仲世とともに,空海の帰朝後〈金剛灌頂〉の法会を設け,進んでこれをうけた。…

※「弘文院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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