コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

伊藤一刀斎 いとういっとうさい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊藤一刀斎
いとういっとうさい

江戸時代初期の剣の名人。名は景久 (かげひさ) ,伊豆の人。一刀流の祖で鐘巻自斎通宗の門人。小野次郎右衛門忠明の師という,伝説の人。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

いとう‐いっとうさい〔‐イツタウサイ〕【伊藤一刀斎】

近世初期の剣客生国伊豆のほか諸説がある。名は景久。鐘巻自斎に師事し、のちに一刀流剣法を創始したといわれる。生没年未詳。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

伊藤一刀斎【いとういっとうさい】

剣法一刀流の祖。生没年は不詳で,江戸初期に没とも。名は景久,幼名は前原弥五郎。伊豆伊東,伊豆の大島,江州堅田など生地にも諸説ある。鐘巻自斎(かねまきじさい)に学び,のち一刀流を創始,諸国をめぐって技を争うこと33度,1度も敗れなかったと伝えられる。
→関連項目中条流

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊藤一刀斎 いとう-いっとうさい

?-? 織豊-江戸時代前期の剣術家。
中条(ちゅうじょう)流-富田(とだ)流のながれをくむ鐘捲(かねまき)自斎にまなび,回国修行ののち一刀流を創始。門弟古藤田勘解由左衛門(ことうだ-かげゆざえもん)俊直,神子上典膳(みこがみ-てんぜん)(小野忠明)。天正(てんしょう)19年(1591)下総(しもうさ)で典膳とわかれたあと消息不明。一説に承応(じょうおう)2年(1653)94歳で死去という。出身地は近江(おうみ),伊豆(いず)など諸説ある。名は景久(かげひさ)。通称は弥五郎。姓は伊東ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

伊藤一刀斎

没年:承応2(1653)
生年:永禄3(1560)
江戸前期の剣術家。一刀流の開祖。生まれは近江国(滋賀県)とも伊豆大島(東京都)ともいわれる。幼名は前原弥五郎。剣客を夢見,14歳のとき伊豆国(静岡県)三島で富田一放と勝負し打ち勝った。このとき三島神社の神主より名刀を与えられ,代々一刀流宗家に伝えられる「瓶割の刀」となった。のち江戸に出て鐘捲自斎の弟子となり,印可を与えられ伊藤一刀斎と名乗った。創案した組太刀は「刃引」「相小太刀」「五十本」「正五点」で,その内容は「当流剣術の要は事也。事を行うは理也」とされ,技術と理論の一致を求めたものであった。改名後も諸国で修行を続け,伊勢桑名の船中で小野善鬼の挑戦を受けてこれを退け,上総国(千葉県)でも挑戦者を打ち破ったが,このときに弟子になった小野忠明に一刀流の2代目を継がせている。<参考文献>石岡久夫『日本の古武術』

(藤堂良明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

いとういっとうさい【伊藤一刀斎】

1560?‐1653?(永禄3?‐承応2?)
一刀流剣術の祖。名は景久。幼名は前原弥五郎。剣豪で知られるが,経歴は不明確である。生国についても伊豆伊東,伊豆の大島,江州堅田,加賀金沢など定説がない。生没年についてもいくつかの説があるが確証はなく,それだけに伝説や逸話が多い。一刀斎は我流の剣法であったが,富田流の鐘捲自斎(かねまきじさい)に学び一刀流を創始したといわれ,全国を周遊して真剣勝負をなすこと33回,敵をたおすこと57人と伝えられる。鎌倉八幡宮で無意識のうちに人を切り夢想剣を開悟したとか,愛妾と酒を飲み,蚊帳の中で寝ている間に裏切った愛妾が刀を持ち出し,賊を招き入れ襲われるが,相手の刀を奪って危地を切り抜け仏捨刀(ふしやとう)を編み出したなどの俗説は有名である。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

いとういっとうさい【伊藤一刀斎】

安土桃山時代の剣客。伊豆の人。名は景久。姓は「伊東」とも。鐘巻自斎に剣法をまなび、一刀流を興した。生没年未詳。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊藤一刀斎
いとういっとうさい

生没年不詳。近世剣術の一大流派である一刀流の祖。名は弥五郎、のち景久(かげひさ)、一刀斎と号した。その伝記は不明なところが多く、通説では姓を伊東とし、生国を伊豆としているが、近江(おうみ)堅田(かたた)(滋賀県大津市)や加賀金沢、さらに越前(えちぜん)敦賀(つるが)などの諸説があり、没地についてもまちまちである。富田(とだ)流三家(山崎、長谷川(はせがわ)、印牧(かねまき))の一、鐘捲自斎(かねまきじさい)(別名、外他通家(とだみちいえ))に従って中条流刀槍(とうそう)の術を学び、その精妙を究めたが、やがて回国修業に出て、天正(てんしょう)年間(1573~92)関東に下って流儀の弘布(こうふ)に努めた。門弟のうち、相州小田原・北条氏の臣、古藤田勘解由左衛門俊直(ことうだかげゆざえもんとしなお)(唯心一刀流の祖)、および上総(かずさ)万喜(まんぎ)氏の臣、神子上典膳(みこがみてんぜん)(のち小野次郎右衛門忠明(ただあき))の両名が傑出し、彼らに払捨刀(ほっしゃとう)、刃引(はびき)、相小太刀(こたち)などの秘伝を授けたという。その後の動静もまったく不明であるが、一説に帰西して敦賀の大谷刑部少輔吉継(よしつぐ)に仕え、関ヶ原の戦いに参加したというが、確証はない。[渡邉一郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の伊藤一刀斎の言及

【一刀流】より

…剣術の代表的流派。流祖は伊藤一刀斎景久で,戦国末期ころ,富田流の鐘捲自斎(かねまきじさい)に学び創意くふうを加えて創始したという。一刀流は,門弟小野忠明のとき,徳川将軍指南の流儀として柳生新陰流とともに重きをなし,全国的に隆盛であった。…

【小野忠明】より

…上総国(千葉県)出身。24~25歳のころ伊藤一刀斎の弟子となり一刀流の道統を継いだ。1593年(文禄2),見込まれて徳川家康の家人となり,柳生宗矩(むねのり)とともに秀忠の師範となって小野姓に改めた。…

※「伊藤一刀斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

伊藤一刀斎の関連キーワード中条流(剣術)小野派一刀流安土桃山時代古藤田一刀流唯心一刀流中条長秀伊藤忠雄伊藤忠也武芸剣道

今日のキーワード

歌舞伎町ブックセンター

東京都新宿区歌舞伎町にある、ホストやホステスが書店員として接客する書店。歌舞伎町でホストクラブを運営するスマッパグループの事務所1階にあるイベント・カフェスペース「jimushono1kai」に併設さ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android