喜波貞子(読み)キワ テイコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「喜波貞子」の解説

喜波 貞子
キワ テイコ


国籍
オランダ

職業
声楽家

専門
ソプラノ

本名
レティツィア・ジャコバ・ヴィヘルミナ・クリンゲン

生年月日
1902年

出生地
神奈川県 横浜

経歴
祖父は来日したオランダ人薬学者・ゲーツで、父もオランダ人。1920年17歳で単身渡欧してオペラ歌手を目指し、ミラノスカラ座の指揮者バーンゾに師事。’22年リスボンのサンカルロス座において「蝶々夫人」でデビュー。その後欧州各地で公演し、「蝶々夫人」はヨーロッパのオペラファンを魅了した。’31年に700回公演、’38年に1000回公演を開き、’53年ベルギーでの最後の舞台までほぼ2000回の「蝶々夫人」のプリマドンナとして「日本人」を演じきった。その間、のち反ナチ活動に加わるポーランド人の音楽家ラビタ・プロショフスキーと結婚、日本語、英語、イタリア語、ドイツ語、ポーランド語、フランス語を話すことができる当時第一級の国際人だった。’53年引退後は後進の指導にあたり、’54年から住みついたフランスのニースで80年の生涯をとじた。没後10年の’93年テレビのドキュメンタリー番組がきっかけとなり、イタリアで録音されたレコードもとCD「忘れないで、私を」が発売されるなどその功績が再評価される。2003年遺骨が83年ぶりに日本へ戻り、横浜の外国人墓地に埋葬される。

没年月日
1983年 5月29日

伝記
蝶は還らず―プリマ・ドンナ喜波貞子を追って日本人歌手ここに在り!―海外に雄飛した歌い手の先人たち蝶は還らず―プリマ・ドンナ喜波貞子を追って 松永 伍一 著江本 弘志 著松永 伍一 著(発行元 ウェッジ文芸社毎日新聞社 ’08’05’90発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「喜波貞子」の解説

喜波 貞子
キワ テイコ

大正・昭和期の声楽家(ソプラノ)



国籍
オランダ

生年
1902年

没年
1983年5月29日

出生地
神奈川県横浜市

本名
レティツィア・ジャコバ・ヴィヘルミナ・クリンゲン

経歴
祖父は来日したオランダ人薬学者・ゲーツで、父もオランダ人。1920年17歳で単身渡欧してオペラ歌手を目指し、ミラノでスカラ座の指揮者バーンゾに師事。’22年リスボンのサンカルロス座において「蝶々夫人」でデビュー。その後欧州各地で公演し、「蝶々夫人」はヨーロッパのオペラファンを魅了した。’31年に700回公演、’38年に1000回公演を開き、’53年ベルギーでの最後の舞台までほぼ2000回の「蝶々夫人」のプリマドンナとして「日本人」を演じきった。その間、のち反ナチ活動に加わるポーランド人の音楽家ラビタ・プロショフスキーと結婚、日本語、英語、イタリア語、ドイツ語、ポーランド語、フランス語を話すことができる当時第一級の国際人だった。’53年引退後は後進の指導にあたり、’54年から住みついたフランスのニースで80年の生涯をとじた。没後10年の’93年テレビのドキュメンタリー番組がきっかけとなり、イタリアで録音されたレコードをもとにCD「忘れないで、私を」が発売されるなどその功績が再評価される。2003年遺骨が83年ぶりに日本へ戻り、横浜の外国人墓地に埋葬される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜波貞子」の解説

喜波貞子 きわ-ていこ

1902-1983 大正-昭和時代のソプラノ歌手。
明治35年11月20日横浜生まれ。祖母は山口きわ,祖父は来日オランダ人薬学者のヘールツ。17歳で単身ミラノにいき,大正11年「蝶々夫人」でデビュー。昭和28年引退までにヨーロッパの劇場で1000回以上もうたう。昭和58年5月29日ニースで死去。80歳。本名はレティツィア=ジャコバ=ウィルヘルミナ=クリンゲン。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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