オランダ女王(在位1890~1948)。1890年父ウィレム3世の没後王位を継承。母エンマの摂政下に置かれたが、98年アムステルダムの教会で即位式をあげた。1901年メクレンブルク・シュウェーリン公ハインリヒと結婚、09年に王女ユリアナを出産。立憲君主制のもとで議会を尊重したが、女王の影響力もけっして小さくなく、第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)まで中立政策を堅持、国内的には広範な社会改革に着手した。40~45年、ドイツの侵入によりロンドンに亡命政権を樹立、ドイツへの抵抗とオランダの自由を説き、オランダ解放後、熱狂的に祖国へ迎えられた。48年ユリアナに位を譲り退位。回想録がある。
[藤川 徹]
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…標高4750m。オランダ領時代の旧名はウィルヘルミナ山。ジャヤウィジャヤ山脈の最高峰で,ジャヤ山に次ぐイリアン・ジャヤ第2の高山。…
…ウィレム1世を継いだ同2世(在位1840‐49),3世(在位1849‐90)の時代にオランダは工業化を推進し,議会制民主主義国家となった。ウィレム3世には男子の嗣子なく,王女ウィルヘルミナWilhelmina(在位1890‐1949)が女王となり,第2次大戦中オランダがドイツ軍に占領されると女王一家はロンドンに亡命した。ウィルヘルミナのあと,ユリアナ(在位1949‐80),さらに現女王ベアトリックスBeatrix(1938‐ )とオランダでは女王の統治が3代続いたが,67年1世紀ぶりで王子オラニエ=ナッサウ公が誕生した。…
…第2次大戦前夜の39年8月,デ・ヘールDirk Jan de Geer(1870‐1960)挙国一致内閣が成立し,社会民主労働党は党首アルバルダほか1名の議員がオランダ史上初めて政権に参加した。同月28日新政権は総動員令を布告し,ウィルヘルミナ女王(在位1890‐1948)はラジオ放送で厳正中立の声明を発表した。
[第2次大戦と戦後]
1940年5月10日未明,ナチス・ドイツ空軍の爆撃機編隊はロッテルダム,ハーグ周辺にある空軍基地を爆撃し,時を同じくしてドイツ機甲部隊は東部国境の諸地点から進撃を開始した。…
※「ウィルヘルミナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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