四・三事件(読み)よんさんじけん

百科事典マイペディアの解説

四・三事件【よんさんじけん】

1948年4月に済州で起こった民衆の武装蜂起から,その武力鎮圧にいたる一連の事件。済州島四・三事件,四・三抗争とも呼ばれる。1945年8月の日本の敗戦後,米軍による軍政下にあった朝鮮半島南部(南朝鮮)では,米軍政と左派勢力との対立が次第に深刻化していった。米軍政によって済州島に投入された南朝鮮本土の警察軍と,共産軍の制圧によって朝鮮北部を追われた右翼勢力の西北青年会と呼ばれる武装団体が,島民に暴圧を加えるなか,南朝鮮で1948年5月10日に単独選挙実施という強行決定がなされ,これに反対する島民が,1947年4月,武装蜂起。その中心は,南朝鮮労働者党(南労党)の党員が担っていたが,蜂起は,警察支所や右翼団体事務所など数ヵ所を襲撃した小規模なゲリラ戦であった。これに対して,軍政当局は,警察軍に加え,朝鮮国防警備隊の連隊を投入,武力鎮圧策で武装した島民に対したが,島民側も激しく抵抗し,済州島ではその結果,1948年5月の単独選挙は実力で阻止された。8月に成立した李承晩政権は,11月から徹底した済州島の焦土化作戦を展開,この作戦は,軍と警察,右翼団体による,島民の大虐殺へと発展し,3万人を超える島民が犠牲となった。多くの避難民が日本に逃れる結果をもたらした。朝鮮戦争当時やそれ以降も,関係者やその親族にたいする処刑・虐殺が続き,鎮圧作戦は1954年9月まで継続された。さらに〈連座制〉が適用され,事件に関係したとみなされたものは,その後,韓国社会ですべての公職から排除され,事件にふれることすらタブー視された。1980年代後半にはじまる韓国民主化の過程のなかで,真相究明の動きがようやく高まり,2000年,真相究明と犠牲者の名誉回復に関する特別法が制定された。2006年,犠牲者慰霊祭に出席した盧武鉉は,韓国大統領として正式に謝罪した。→韓国
→関連項目済州島

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

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