四条家(読み)しじょうけ

改訂新版 世界大百科事典 「四条家」の意味・わかりやすい解説

四条家 (しじょうけ)

藤原氏北家の流れ。家格は羽林家大納言を先途とする。贈太政大臣藤原房前の子左大臣魚名の三男美作守末茂から出て,平安時代末の中御門中納言家成の男権大納言隆季を始祖とし,以後四条家と称した。家名は隆季が四条大宮に居を構えたのにちなみ大宮家とも称した。当家は包丁道の家として有名で,料理調進の作法を伝えているが,また笙(しよう)を家業ともした。隆季の子権大納言隆房は,鎌倉時代初頭の歌人として知られている。政治史的には南北朝期,南朝にあって活躍した四条隆資・隆俊父子や,北朝に仕えた四条隆蔭は有名。また江戸時代末に,尊攘急進派の公卿として攘夷決行に奔走し,1863年(文久3)8月の政変で長州に落ちた七卿の一人である隆謌(たかうた)も著名である。隆謌は明治維新後も新政府の軍事を担当し,陸軍草創期の重臣として活躍し,その功もあって1884年華族令の制定に当たって伯爵を授けられたが,91年に侯爵を授けられている。

 四条家は地名に由来することから,ほかにも四条を家の号としたものも少なくないが,当四条家は,洛東白河の善勝寺同族祭祀の寺とし,代々族人をもってその長者となし,同族的結合の紐帯とした。なお同族は,始祖隆季の弟権中納言実教に始まる山科家をはじめ,西大路鷲尾油小路櫛笥八条等の諸家がある。江戸時代の家禄は180石であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「四条家」の意味・わかりやすい解説

四条家
しじょうけ

藤原氏北家(ほっけ)の魚名流(うおなりゅう)の子孫。平安末期院政と結び付いて発展した。とくに隆季(たかすえ)は後白河上皇(ごしらかわじょうこう)に重用され、権大納言(ごんだいなごん)まで上り家格を定めた。また彼が京都四条大宮(おおみや)に構えた邸宅は子孫に譲られ、孫隆衡(たかひら)のころから家名を四条と名のった。この家から山科(やましな)、西大路、鷲尾(わしお)、櫛笥(くしげ)などの家が分出した。包丁の家として知られ、その料理法は四条流と称された。南北朝時代一族の隆資(たかすけ)は南朝に仕えて名を高めた。江戸時代の知行高は180石。幕末の隆謌(たかうた)は尊皇倒幕運動に加わり、明治維新に功をたてた。1884年(明治17)華族の爵位制度が定められると、同家は伯爵となったが、1898年隆謌が死去するまぎわに、功により侯爵に上った。

[飯倉晴武]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四条家」の意味・わかりやすい解説

四条家
しじょうけ

藤原北家。平安時代末期隆季の邸が四条大宮にあって,その孫隆衡が四条家を称したのに始る。羽林家の一つで,四条流の包丁の家として料理調進を業とした。明治になって侯爵。

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世界大百科事典(旧版)内の四条家の言及

【三潴荘】より

…立荘の時期,由来は不明。平安末期には宝荘厳院(ほうしようごんいん)を本家,四条家を領家として年貢米600石,綿411両を貢進した。鎌倉初期に一時和田義盛が地頭に補任されたが,後期には一部が元寇の恩賞地として肥前の山城氏,白魚氏などに給されたため,在地領主との間に深刻な対立を生みだした。…

※「四条家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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