日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニヤーヤ学派」の意味・わかりやすい解説
ニヤーヤ学派
にやーやがくは
Nyāya
Naiyāyika
インドの六派哲学学派の一つで、論理、論証、知識論を主要な論題とする。開祖はガウタマ(1世紀ころ)、別名をアクシャパーダ(漢訳されて足目)といい、『ニヤーヤ・スートラ』の作者と伝えられているが、この経典が現在の形に編纂(へんさん)されたのは3~4世紀のころである。4世紀にバーツヤーヤナが出て、これに対する注釈書『ニヤーヤ・バーシヤ』を著したが、この二書が、12世紀ころまで、この学派のいちおうの基本文献となった。それらによれば、ニヤーヤ学派の研究対象は、真知手段、真知の対象、疑惑、動機、喩例(ゆれい)、定説、論証肢、仮定に基づく吟味、決定、論議、論争、論詰、誤った理由、詭弁(きべん)、誤った非難、論破の場合、という16の項目にまとめられるという。バーツヤーヤナによれば、「ニヤーヤ」という語は、広義には、直接知や聖典のことばに基づく推理一般をさすが、狭義には、主張、理由、喩例、適用、結論という五つの論証肢を意味する。そして、この狭義におけるニヤーヤこそが最高のニヤーヤであるという。ニヤーヤ学派は、とくに存在論の領域において、最初期から、姉妹学派であるバイシェーシカ学派の体系を大いに流用していたが、6世紀前後から急速に精密化してきた仏教論理学による批判、攻撃に対抗して、知識論の領域でも、さらに本格的にバイシェーシカ学派の説を用いるようになった。『ニヤーヤ・バーシヤ』に対する注釈書『ニヤーヤ・バールッティカ』を著したウッディヨータカラ、さらにそれに対する重注『タートパリヤ・ティーカー』を著したバーチャスパティミシュラ、さらにまたそれに対する重々注『タートパリヤ・パリシュッディ』を著したウダヤナと経過するにつれ、その傾向は強化され、定義の厳密化が促進された。この傾向の一つの頂点がガンゲーシャ(13世紀)著『タットバ・チンターマニ』であった。これ以降、『ニヤーヤ・スートラ』に基づく古来の伝統は凋落(ちょうらく)し、『タットバ・チンターマニ』を基本文献として新説を展開する人々が主流を占めるようになった。この人々は自らをナビヤ・ニヤーヤ(新ニヤーヤ)学派と称し、今日のビハール州のミティラー、さらにはベンガル州のナバドビーパを拠点に活躍した。
[宮元啓一]