知識の本質,起源,根拠,限界などについての哲学的な研究または理論をいう。〈認識論〉と訳される英語,フランス語は,ギリシア語のエピステーメーepistēmē(知識,認識)とロゴスlogos(理論)を結びつけて作られたもの。これらの言葉が広く用いられるようになったのは19世紀も半ば以後のことであるが,知識をめぐる哲学的考察の起源はもちろんそれよりもはるかに古く,たとえば古典期ギリシアにおいてソフィストたちの説いた相対主義の真理観にはすでにかなり進んだ認識論的考察が含まれていたし,ソクラテスもまたその対話活動のなかで,大いに知識の本質や知識獲得の方法につき論じた。
こうして深められた認識論的な問題意識に体系的な表現を与え,その後の展開の方向をさだめたのがプラトンである。彼は人間の知的な営みを〈知識epistēmē〉と〈思いなし(臆見)doxa〉という二つの種類に分けて考察した。知識とは〈誤りえぬもの〉のことで,たまたま事実にあたって真であるにすぎない思念や信念,すなわち〈思いなし〉とは違って,十分な根拠をもつもの,証明可能なものでなければならない。プラトンの試みた〈知識〉の定義の最終形態は,〈ロゴスを伴った真なる思いなし〉というものであった。〈知識〉と〈思いなし〉のあいだに認められたこの区別の意味をさらに徹底的に究明する,という課題をプラトンは後代に残したのである。なお,同じく古代ギリシアではアリストテレスが,演繹(えんえき)推理の規則を体系化してはやくも古典的形式論理学の基礎をさだめ,また感覚,記憶,想像,思考など認識に関連する心の諸機能について綿密に考察するなど,認識論の歴史に重要な位置を占める哲学者である。
プラトンとアリストテレスの認識に関する見解はかなり異なっており,その間の相違,対照は近世以後の合理論と経験論の間のそれと通うところがある。
西洋のキリスト教思想家にとっては,啓示に基づく超自然的な真理の把握と,理性の行使によって得られる知識との境界や相互関係を明確にすることが重要な思想的課題になる。ことに中世における認識論的研究は,信仰と理性の調和はいかにして可能か,という問題設定によって基本的に枠づけられていた。近世以後においては,科学のめざましい発展が伝統的思想の惰性的な安定を破り,世界像の変革を促す動因となった。認識論的な問題の多くは科学と哲学のあいだの緊張関係から生まれたもので,とくに近世から現代にいたる認識論の展開はこの関係をおいては語ることができない。
しかしその間も,知識をめぐる哲学的探究は,ほぼプラトンの敷いた軌道に沿って展開したといえる。基本の方向は,〈知る〉とはいかなることかという問題を,〈知識〉の主張を妥当ならしめる根拠は何か,われわれの思念・信念はどういう根拠に支えられるとき正真正銘の知識になるのかという問いに置きかえ,もっぱらジャスティフィケーション(正当化)の論脈から〈知識〉の本質に迫ろうとするものであった。カントは《純粋理性批判》で,自分が考察するのは認識に関する〈権利問題quid juris〉であって〈事実問題quid facti〉ではないと述べたが,これは西洋における認識論研究の基本傾向を簡潔に言い表している。たとえば17世紀末に公刊されたロックの《人間知性論》は近世の認識論を代表する古典であるが,これはその序論が示すように,〈知識〉の確実性と明証性の由来を究め,蓋然的な〈意見〉や〈信念〉の本性と根拠を検討し,それによって両者の境界を鮮明にすることを目ざした書物である。近世以後の哲学を大勢的には認識論的哲学として方向づけたこの著作も,プラトン的な知の理念を受けつぎ,根拠への問いを〈知識〉考察の中心としていた。
近世の認識論は合理論,経験論という二大潮流に分けて考察するのが慣例になっているが,この二つの立場の対立には近世初頭の精神的状況が反映している。その当時,既存の概念体系や存在分類にはとらわれず,もっぱら観察と実験によって経験法則を探求する実証的・帰納的な方法が自然研究の諸分野で成果を挙げはじめていた。また,事象を単純な因子に分解し,諸因子の関数的関係として再構成する〈分析と総合の方法〉(G.ガリレイ)があらたな力学的世界像を提示し,仮設演繹的方法の有効性を実証したし,それに伴って数学的解析の発展も著しかった。こうした情勢にこたえて,合理主義者たちは少数の明証的原理から論理的な帰結を演繹するア・プリオリな(原理からの)認識方法を重んじ,数学を確実な知識の典型とみなした。この方法で認識論を構成した哲学者としてはデカルト,マールブランシュ,スピノザ,ライプニッツなどが著名である。一方また,ロック,G.バークリー,D.ヒュームなど,おもにイギリスの哲学者たちが展開した経験主義の認識論(イギリス経験論)は,観察と実験,帰納的一般化など,ア・ポステリオリな(帰結からの)方法に重きをおいて信念や知識の解釈を行い,現実世界にかかわる言明に対しては感覚的明証の裏づけを求めるのを原則とした。
カントは合理論と経験論の争点となった諸問題を深く考察し,近世における認識問題の解釈としては決定的ともいえる緊密な理論体系を築いた。カント認識論の根本課題は〈先天的総合判断synthetisches Urteil a prioriはいかにして可能であるか〉という問いに要約されている。平易に述べなおせば,なんらかの仕方で経験と実在にかかわり,しかも〈知識〉の名に値する普遍的・必然的な判断はいかにして成立するのか,またその客観的妥当性すなわち実在との適合性はどのように立証されるのか,というのがカントの根本問題であった。彼の立場は,知識の成立を経験可能の範囲に限り,伝統的な形而上学の諸命題の多くを否定し去ったという点で経験主義の思想に結びつく。しかし当時の数学やニュートン力学の根底になっている原理的な知識とその諸条件を析出し,それらによって〈可能なる経験〉の基本構造を再構成することを理論的作業の中心とした点では,カントは近世合理主義の継承者でもあった。
カント認識論の立場は超越論的観念論あるいは超越論的主観主義と呼ばれている。彼の考えかたでは,科学的認識の対象である自然の基本構造は主観の形式によって,すなわち感性や悟性の形式(時間・空間,カテゴリーなど)によって決定されているが,この主観は個人的・経験的な意識主体ではなく,経験的自我の根底に向かう哲学的反省によってはじめて明らかになる意識の本質構造であり,意識一般とも呼ぶべき超越論的主観transzendentales Subjektである。認識問題をもっぱら主観-客観の関係から考察する近代の哲学的思考法をほぼ定着させたという点でも,カントが認識論の歴史に残した足跡は大きい。その思想は多くの追随者を得て,とくにドイツでは認識論の正統とみなされてきた。
科学的認識との関係から見れば,カントの認識論も当然時代の制約を免れなかった。また数学的自然科学にもっぱら定位して,歴史や社会の認識に多くの考慮を払わなかったという点でもその限界は明らかで,カント以後,これらの不備を補う研究は活発に行われ,認識論的考察の視野も大いに拡大された。しかし認識論の課題と方法に関する理念や,科学的認識に対する態度などについて,カントの見解を大きく乗りこえる理論はまだ現れていないと言ってよいだろう。19世紀末から20世紀初頭にかけて隆盛であった新カント学派の認識論や,続いて台頭し,有力学説の地位を占めたフッサールの超越論的現象学などは,基本的にはカント認識論の理念をなぞった学説である。
しかし今日,〈科学の基礎づけ〉という超越論的認識論の理念にとどまることはもはや不可能であろう。認識問題をめぐっての科学と哲学の相対関係も最近20~30年のあいだに大きく変化している。たとえば大脳生理学や遺伝子工学,コンピューター・サイエンスにロボット工学など,認識における主体-客体関係の解釈を大きく左右するような知的開発が急速に進展しているとき,それらがもたらす知見は〈事実問題〉の領域に属するとしてかっこに入れ,ひたすら〈権利問題〉の考察をこととする自閉的な認識論哲学には,おそらく多くの余命は残されていない。現に認識過程を制約している歴史的・社会的な諸条件を捨象して,知識の永遠不変の構造を問うことにどういう意義があるのか,あらためてわれわれは問うべきであろう。英語圏の諸国では言語分析の方法による認識論,科学論が圧倒的優位を占めているが,元来専門哲学者よりも数学者,自然科学者の方法論的ないし基礎論的な反省から発展したこの分析的認識論は概して,また比較的には科学的探究との連係を維持しえている。しかし科学的な事実よりも事実を語る言語の枠組みを対象にするというこの派のたてまえが,伝統的認識論と同様に,事実問題と権利問題の不毛な分断に結びつくという一面も見逃せない。
しかし,以上のような観察に基づいて現代における認識論の終末を結論するとすれば,それは短見であろう。超越論的な認識論の解体と,認識論そのものの消滅は別のことである。科学研究の専門分化と技術の高度化,巨大化が圧倒的な情勢であればあるほど,人間の生の営みにとっての科学的・技術的な知識の意義が根本的に問いなおされねばならない。プラトンの対話編《カルミデス》が美しく述べているように,たんなる〈知〉ではなく〈知の知〉を求めるということが人間に固有の営みであり,それをもっとも自覚的,徹底的に行うことが哲学という活動の本質的な特徴であろう。知的探究とそのための諸制度にかかわる知識,すなわち認識論は,むしろ今日において,もっとも現実的な課題を抱えているといえよう。かつて超越論的哲学の理想を追ったフッサールが晩年には〈生活世界の現象学〉に思いをひそめ,はじめは〈論理形式〉を基本概念の一つとして認識の言語の本質構造を照明したウィトゲンシュタインは,やがて〈生活形式〉を究極の支えとする言語ゲームの哲学に転じた。もちろん偶然の一致ではあるまい。そのいずれにも,認識論の過去と未来に関する,もっとも深く切実な認識が表現されているのである。
執筆者:黒田 亘
細かな点を除いて,インドでは認識(知識)は記憶と新得知とに分類される。また一般に,認識が成立するということは,認識と認識手段と認識対象と認識主体の四つがそこにあるということであるとされる。そこで,新得知は,認識手段の違いに応じて,直接知,推理知,類推知,言語知などに分類される。いくつに分類されるかについては学派によって見解を異にするが,どの学派も認めるのは直接知である。直接知は,ニヤーヤ学派,バイシェーシカ学派によれば,対象が感官と接触し,その感官に意(内官)が接触し,さらにその意が自我(アートマン)に接触して成立するとされる。また,不二一元論ベーダーンタ学派によれば,内官のいわばアメーバのような変容態が,感官を通って外界に流出し,対象と同じ形態をとることによって成立するとされる。
→真理 →存在論 →知識
執筆者:宮元 啓一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
認識論を文字どおりに解すれば、認識ないし知識に対する哲学的考察、または反省的研究ということになろう。だが、西欧におけるそのもとの術語の使い方を比較してみると、その力点の差異が示される。「認識論」はドイツ語Erkenntnislehre(theorie)の訳語である。ところで、英語epistemology, theory of knowledge、フランス語épistémologie, théorie de la connaissanceに対して、ドイツでは「エピステモロギー」という用語は一般に使われていない。イギリスではepistemologyとtheory of knowledgeとはほぼ同じ意味に用いられるが、フランスにおいてはかならずしも同義語ではなく、épistémologieとは文字どおり「エピステーメ」(科学知)の学なのである。独、英、仏と同じ西欧文化圏に属しているのでその差異を無視しがちであるが、その差異にまた認識批判Erkenntniskritikという言い方がドイツで重視される所以(ゆえん)が存している。
[神川正彦]
今日、認識論は、学問状況を正しく受け止めるならば、まず二つに大別されよう。哲学的認識論と科学的認識論である。もちろん相互の関係を軽視してはならないが、また逆に、認識論とは、存在論ないし形而上(けいじじょう)学と並ぶ哲学の一大部門と規定することにとどまることはできない。哲学は「認識とは何か」というような全体的な問いにかかわらざるをえないが、科学は逆に研究対象を限定して厳密な方法で解明することを目ざす。代表的な例でいえば、心理学者J・ピアジェが一つの科学として「発生的認識論」を追究しようとするのも、そのためである。科学的認識論とは一般的にいえば、心理学的検証にかなう「認識ないし認知の科学」として構築されることを求めるものということができよう。このような科学的な状況を反映して、哲学的認識論も、一般的に認識とは何かと問うのではなく、「エピステーメ」の学として、科学知を対象とする科学哲学的探究や、知る、信ずるなど人間の基本経験の言語的・論理的分析を求めるという傾向を強めている。この意味において、哲学的認識論に対して、「古典的」と「現代的」というような識別が必要だとも思われるが、古典的認識論の問題が古くなってしまったわけではない。
[神川正彦]
哲学的認識論の古典的形態は、一般に三つの問題に整理され、それをどう考えるかによって種々の立場が区別される。(1)認識の起源、(2)認識の本質(妥当)、(3)真理の問題、である。(1)認識の起源の問題は、認識の源泉をどのようにとらえるかで基本的には四つぐらいの立場に分かれよう。〔1〕経験主義 認識の起源を経験的に感覚に求めるもので、ロックなどイギリス経験論によって形成された。〔2〕合理主義 逆に理性や悟性の知的活動に源泉をみる。デカルト、スピノザ、ライプニッツなど、近世哲学の黄金時代を告げる大陸合理論によってうちかためられた。〔3〕批判主義 経験論と合理論との総合を求めたカントによって開かれた。認識論が哲学の一大部門として位置づけられるのもカントの功績である。認識批判がほぼ認識論と同義に使われるのも、そのためである。〔4〕直観主義 神秘主義や現象学を含めて、直観に源泉を置く見方である。(2)認識の本質の問題は古典的認識論の基本構造をあらわにする。それは、認識主体としての主観と認識客体としての客観(対象)との二項的対置構造において認識をとらえようとするからである。そのいずれの項に基本を置いて認識の本質を規定するかで、基本的には二つの立場が大別される。実在論と観念論である。この術語はあまりにも多義的なので、ここでは、客観の項に重きを置く客観主義と、主観の項に重きを置く主観主義と整理したほうがよいであろう。しかし、このような〈主観―客観〉の二元構造こそ、現代的認識論にとっては乗り越えられねばならない当の問題にほかならない。(3)真理の問題は、主要なものに限れば、四つぐらいの見方にまとめられよう。〔1〕対応説 もっとも素朴には模写説から始まるが、弁証法的唯物論の反映説まで、きわめて根強いものがある。〔2〕明証説 意識に対して明晰(めいせき)判明に明証的に現れるものを真理とみる。デカルトに由来する。〔3〕有効説 行為の結果の有効性で真偽を判定する。プラグマティズムの立場である。〔4〕整合説 認識が体系内で論理的に矛盾がないかどうかで判定する。これは、対応説とは逆に、対応すべき実在なりリアリティーなりが失われてしまった今日の、より高度な科学的認識の実状にはマッチしている。
現代的認識論は、以上の問題を課題として受け止めながらも、一方で、今日の自然・社会・人間諸科学の展開に対応しつつ、科学的認識の論理的構造分析として、他方で、知る、感ずる、信ずる、言うなどというような基本的な人間経験の言語分析として、より根源的なレベルから科学知や認識・認知の在(あ)り方をめぐって未来の展望を開こうと求められているということができよう。
[神川正彦]
『G・バシュラール著、竹内良知訳『科学認識論』(1974・白水社)』▽『J・ピアジェ著、田辺振太郎・島雄元他訳『発生的認識論序説』全三巻(1975~80・三省堂)』▽『R・ガロディ著、森宏一訳『認識論』全二冊(1956・青木書店)』▽『高橋里美著『認識論』(1940・岩波書店)』▽『沢田允茂著『認識の風景』(1975・岩波書店)』▽『P・ファイヤアーベント著、村上陽一郎・渡辺博訳『方法への挑戦』(1981・新曜社)』
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