国連中国代表権問題(読み)こくれんちゅうごくだいひょうけんもんだい

共同通信ニュース用語解説 「国連中国代表権問題」の解説

国連中国代表権問題

中華人民共和国(中国)と台湾中華民国国連代表権(議席)を争った問題。1945年の国連設立時は国民党の中華民国が加盟したが、49年に国民党が共産党との内戦に敗れて台湾に逃れると、共産党が樹立した中国は中華民国の追放自国参加を要求した。ソ連が50年に国連で問題提起。以降、国際世論二分する争いとなった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国連中国代表権問題」の意味・わかりやすい解説

国連中国代表権問題
こくれんちゅうごくだいひょうけんもんだい

国連での中国の代表資格をめぐって、中華人民共和国政府と国民政府との間で争われた問題。1949年10月、中華人民共和国政府(北京(ペキン)政府)が成立し、国民政府(「台湾政府」)は中国本土に対する実効的支配を失った。ほどなく北京政府は国連に対して、国民政府代表の法的地位を否認するよう要請した。ここに国連において中国を代表する政府として、引き続き国民政府を認めるか、それともこれを否認して北京政府を認めるかという問題が生じた。

 国連憲章には、この問題に関する規定はないが、1950年の国連総会は、この種の問題は総会が審議すべきであり、総会のとった態度は国連の他の機関でも考慮されるべきであるという勧告を決議した。実際に、それ以後毎年、総会で両政府の支持国それぞれが多数派工作を競ってきた。もっとも50年の総会では33対16(棄権10)で台湾政府が勝利を収め、約10年間はかなりの票差でこの問題は棚上げされている。しかし60年になると、台湾支持に賛成の国は、反対国と棄権国の合計を下回る状況となった。そこでアメリカは、後継国家方式(北京と台湾の両者に中国の後継国家として総会議席を認める方式)や特別委員会方式(この問題を審議する特別委員会を設け、その結論が出るまで総会審議を中断する方式)を考案したが、いずれも提案以前に挫折(ざせつ)し、結局、重要事項指定方式(この問題を、総会で3分の2多数を要する重要事項に指定する方式)を提案、61年の総会から可決されるようになった。しかし70年総会では北京政府支持国が過半数を制するに至り、71年総会ではアメリカは逆重要事項指定方式(台湾追放の部分を総会の3分の2多数を要する事項に指定する方式)を提案したが否決され、ついに同年10月25日、賛成76、反対35、棄権17で、台湾政府の代表権を否認し、北京政府を唯一の合法的代表と認める決議が採択され、22年間に及ぶ問題に終止符が打たれた。

[石本泰雄]

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