「どうしゅ」ともいう。一般に寺院にあって、教学研究、講経論義に携わる僧侶(そうりょ)を学侶(がくりょ)といい、それに対して、堂塔の管理運営に携わる者を堂衆というが、堂衆はかならずしも僧侶として正式な経歴をもっているとは限らない。奈良の薬師寺や法隆寺では堂方(どうがた)と称していたらしいし、さらに、学侶と堂衆の二階級だけでなく、堂衆のほかに行人(ぎょうにん)とか坊人、夏衆(げしゅう)などを区別している場合もあるが、一括して行人とされたり、堂衆とされたりもする。とくに比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)にあっては、堂衆はすなわち夏衆であり、堂塔に供奉(ぐぶ)し、供華(くげ)、供物(くもつ)、仏餉(ぶっしょう)などを支弁し、清掃、修繕、管理などにもあたるものであった。第35代座主覚尋(ざすかくじん)のときに始められたといわれ、比叡山近在の寺領の荘民(しょうみん)が登山してこの役についたという。山法師とよばれ、強訴(ごうそ)の先頭にたった大衆(だいしゅ)は主としてこの堂衆の集まりであり、つねに諸寺で学侶と堂衆の反目もしきりであった。
[木内曉央]
比叡山・高野山・南都の諸大寺における僧侶階層の一つ。比叡山では中方,高野山では行人(ぎょうにん)とよぶ。寺院に所属する僧侶は大衆(だいしゅ)とよばれ,その組織は学解・修行に専念する学生(がくしょう)・学侶と,彼らに従ったり堂塔・僧房の管理・運営や雑用・力役などに従事する堂衆などで構成された。こうした構成は,平安後期には寺内の身分呼称として定着した。堂衆は僧兵の有力構成員で,学生とも対立した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…以後,奈良,京都,比叡山,高野山などの門跡寺院には,門跡寺院の仏事や世俗のことを援助する院家があり,院家は学侶によって構成された。さらにこれらの院家のもとには,禅衆とか堂衆(方)とよばれる平民出身僧の子院が付属するようになり,寺院の封建制を一段と強めることになっていった。【堀池 春峰】。…
… さて寺内のいかなる階層の僧徒が僧兵を構成したかが,かつて論争の対象となった。そして出自の身分が高く修学を事とする学侶(がくりよ)(学生(がくしよう))に対し,寺内の雑務にあたる堂衆に加えて寺領荘園から召し出された兵士を僧兵の主力とするのが通説とされた。しかし寺内では,学侶が俗事に交わる一方で,堂衆が学侶とともに法会を勤修する事例が少なからず見いだされる以上,出自・修行方法に差異はあれ,学侶は学問,堂衆は雑務,という認識は正されねばならず,僧兵の階層を一概に規定することは困難である。…
※「堂衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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