昭和期の美術評論家,美術史家 神奈川県立近代美術館館長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
文芸・美術評論家。大垣生れ。旧制水戸高校と東大美術科時代,文学・演劇運動をとおしてアナーキズムに近づき,30年東大を卒業後ドイツに留学したが,結核で翌年帰国。明治文学談話会,興亜院嘱託を経て,42年周作人がいた北京の華北総合調査研究所に赴任したが,敗戦で中国彫刻の写真と抗日版画の収集を失い帰国。戦後のリアリズム論争では,戦争画の主題主義と職人芸のため荒廃した感性の回復が先決と主張した。51年新設の神奈川県立近代美術館副館長,65年同館長,69年全国美術館会議会長となり,すぐれた企画展と宇部,神戸の野外彫刻展や高村光太郎賞,中原悌二郎賞などの創設と審査に力を入れた。73年これらの活動で菊池寛賞受賞。主著に戦前の《岸田劉生》《近代日本洋画史》(1941),戦後の《ブリューゲル》(1963),《画家と画商と蒐集家》(1964),《ドイツ・ルネサンスの画家たち》(1968),《レンブラント・ファン・レイン》(1971),《ヒエロニムス・ボス》(1975)などあり,《土方定一著作集》全12巻(1976-78)に収録されている。
執筆者:針生 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
美術史家、美術評論家。岐阜県大垣生まれ。1930年(昭和5)東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業し、31~32年ドイツに遊学。旧制水戸高校在学中に、舟橋聖一らと文芸同人誌『彼等自身』を創刊するなど、初めは日本近代文学を研究、『近代日本文学評論史』(1936)を著したが、のち美術研究に転じ、ドイツ、ネーデルラント、近代以降の日本美術を研究。68年(昭和43)『ドイツ・ルネサンスの画家』で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。65年から神奈川県立近代美術館館長を務め、展覧会活動の業績で菊池寛賞受賞(1973)、78年には毎日芸術賞を受けた。鎌倉に没。
[永井信一]
『『土方定一著作集』全12巻(1976~78・平凡社)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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