美術批評(読み)びじゅつひひょう

改訂新版 世界大百科事典 「美術批評」の意味・わかりやすい解説

美術批評 (びじゅつひひょう)

美術批評の境域を確定しようとするとき,まず美学美術史との関連が問題となる。美術批評の眼目が作品の理解,価値判断にあるとして,それに必要な概念,原理を与えるものが美学であり,参照すべき過去の作品についての知識を提供するのが美術史であるというふうに,理論的にはいちおう定義が成り立つが,現実には三つの活動の間の区別は必ずしも判然としない。また,美術作品において新たな価値創造がなされたか否かの判断は,美学的原理をよりどころとし美術史的知識を参照することによって,自動的に解答が得られるものではなく,批評家個人の趣味と呼ばれるものの行使によって,いわばその責任においてなされるものであり,さらに重要な点は,その判断が,対象とする作品そのものにおける創造という新たな事象を解明もしくは表象するだけの言語的創造をなしていなければならないという点にある。この意味で,美術批評は究極的には文学的活動であり,言い換えれば,価値判断の成立・不成立は創造活動としての文学的言説成否にかけられるということになる。

 一般に西洋美術批評史の記述は,絵画,彫刻,建築の教則本や,詩人による美術作品の描写,哲学者の美学論議などの現れた古典古代から始められ,美術にかかわる言説のすべてを包含することが多い。これに対し,近代的美術批評の成立をうんぬんする場合も,三様の選択が可能である。一つは,芸術が機械的技術の範疇からも宗教への隷属からも脱して,独自の精神活動として認知され,創造の主体たる芸術家個人が重視されるようになったルネサンス期に,美術作品そのものを愛好する人々の理解の助けとなるような著述(バザーリの《芸術家列伝》など)が現れたことを出発点とする見方である。第2の見方は,フランス政府主催のサロン(官展)が隆盛になった18世紀中葉から,サロン評の小冊子が現れたことをもって近代的批評の淵源とする。わけてもディドロの《サロン評》(1759-81)は,作品の記述・批判を主体としつつも,グルーズダビッドの称揚を通じてフランス絵画のとるべき方向を示唆したり,シャルダンを対象として純粋に絵画的な価値を表現する言説を模索したりした。しかし,ディドロの批評は少数の特権的読者を相手にしたものであり,19世紀に不特定多数の顧客を対象とする絵画市場がしだいに成立し,それと並行して新聞・雑誌のジャーナリズムが盛んになった時点で,初めて現代的な美術批評が成立する。ボードレールの美術批評(1845-63)が画期的なのは,市民社会における芸術家と公衆の困難な関係を明確に意識した点,絵画に特有な表現内容を想定してそれを言語で表現するための工夫をもって美術批評の存在理由とした点などにある。それ以後,新印象主義に対するフェネオンFélix Fénéon(1861-1944),立体主義に対するアポリネールなど,難解な新芸術を理解させるための新たな言説を生み出すジャーナリスト的文学者の批評が,重要な役割を果たすことになる。

 日本における美術批評的言説は,世紀末の岡倉天心森鷗外の活動に始まり,1907年の文展開設以後のジャーナリズムに大きな位置を占める。1910年代の《白樺》による批評,20年代以降の前衛的な批評,わけても滝口修造(1903-79)の1930年代,50年代の仕事,宮川淳(1933-77)の60年代の仕事が,創造的な批評として特筆に値しよう。
美術 →批評
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美術批評 (びじゅつひひょう)

美術雑誌。1952年(昭和27)1月,戦後美術の出発期にあって日本の美術界が直面している問題,とくに批評と創造の問題を多面的に検討し,新鋭美術家・批評家を支援する目的をもって美術出版社から創刊された。編集長は西巻興三郎。まず,美術家がかかえている苦悩・批判を繰り返しアンケートにより引き出し,美術界に根をおろしている印象批評や技術批評を俎上(そじよう)にのせ,さらに河原温,石井茂雄ら新人作家を紹介し,針生一郎,瀬木慎一や,新人評論募集に入賞した東野芳明,中原佑介らの新鋭批評家を登用して,創造的美術批評のあり方を模索し続けた。また口絵図版のない《美術批評》は花田清輝,安部公房,佐々木基一,寺田透,武満徹,秋山邦晴らが美術のジャンルをこえて執筆し,総合芸術誌として当時の青年芸術家に多大な影響を与えた。57年2月,62号をもって絶刊した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「美術批評」の意味・わかりやすい解説

美術批評
びじゅつひひょう
art criticism

一般的には美術作品に対するなんらかの判断,ことに価値判断であり,作品の良否を判別し,評価を下すこと。 19世紀以前は価値を評価する裁断批評が有力であったが,その後,批評家の印象に基づく印象批評,鑑賞批評,審美批評が生れた。しかし 19世紀後半からそれらがもつ欠陥を補うため科学的実証的批評が展開された。さらにイタリアのベントゥーリやクローチェらの歴史的批評,イギリスのリチャーズやエリオットのように美術や芸術学を批評のうちに含めて考える立場,批評家が芸術家に匹敵する創造性をもって芸術作品に迫り,そのあらゆる細部にわたってみずからの感覚を浸透させつつ再創造を行うという創造的批評などが発展した。

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