土橋亭里う馬(読み)ドキョウテイ リュウバ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「土橋亭里う馬」の解説

土橋亭 里う馬(9代目)
ドキョウテイ リュウバ


職業
落語家

本名
黒柳 吉之助

別名
前名=橘家 喜久蔵,橘家 稲蔵,金原亭 馬好,滝川 鯉之助,浮世 戸平,桂 文兎,桂 文都,桂 文一

生年月日
明治25年 3月3日

出生地
東京・本所

経歴
江戸一番といわれた本所相生町の煙管細工師の子に生まれ、21歳まで家業に従事。大正1年4代目橘家円喬の最晩年の弟子で喬松を名乗るが、半年で師匠に死別。4代目橘家円蔵の門下となり、喜久蔵から稲蔵と改める。その後6代目金原亭馬生門で馬好、さらに大正8年3月8代目入船亭扇橋門下で滝川鯉之助、10年11月浮世戸平で真打となった。落語界の混迷期を三遊派から演芸誠睦会、東西落語会などと渡り歩き、8代目桂文治一門となって、文兎から昭和3年桂文都となり落ち着く。戦後芸術協会に加入。桂小文治門下で文一から23年6月9代目土橋亭里う馬を襲名した。小噺川柳・三題噺にすぐれていたが、反骨・皮肉の風があり戦後の高座にはなじまず、個人の独演会に比重を置く狐高の落語家だった。

没年月日
昭和43年 12月5日 (1968年)


土橋亭 里う馬(7代目)
ドキョウテイ リュウバ


職業
落語家

本名
村松 新三郎

別名
前名=山亭 馬円,三遊亭 円新,司馬 龍生(7代目)

生年月日
弘化4年 9月

出生地
江戸・両国(東京都)

経歴
素人落語から市村座木戸芸者となり鶴八と名乗る。やがて時勢が変わり木戸芸者も無用になったため、山亭馬久二門で噺家に転じ馬円と改める。長年旅まわりの末、明治20年頃新潟で2代目三遊亭円太郎の塔婆を立て供養したことが縁で、初代三遊亭円朝に入門、円新の名をもらった。その後、4代目三遊亭円生門に移り、30年頃7代目司馬龍生、さらに35年10月7代目里う馬を襲名した。“黒の里う馬”と云われた。

没年月日
大正9年 5月21日 (1920年)


土橋亭 里う馬(8代目)
ドキョウテイ リュウバ


職業
落語家

本名
岡田 佐太郎

別名
前名=春風亭 芝好,玉屋 柳勢,柳亭 富楽,柳亭 右楽

経歴
明治12年、または16年生といわれる。41年4代目春風亭柳枝に入門、芝好。44年玉家柳勢を名乗る。5代目柳亭左楽門下に転じ、大正2年柳亭富楽、6年右楽を経て、9年8代目土橋亭里う馬を襲名した。睦会に属し、師の番頭格を務めた。昭和8年頃に引退した。戦後まで存命していたというが、没年は不詳。

没年月日
(生没年不詳)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土橋亭里う馬」の解説

土橋亭里う馬(初代) どきょうてい-りゅうば

土橋亭竜馬(どきょうてい-りゅうば)(初代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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