日本大百科全書(ニッポニカ) 「在地法」の意味・わかりやすい解説
在地法
ざいちほう
国家的権力の制定する法に対して、相対的には私的な在地における所領支配のための法や、被支配層の現地に即した法秩序のあり方を、仮説的に在地法とよぶ。
(1)12~14世紀における鎌倉幕府の地頭御家人(じとうごけにん)級在地領主の法。幕府は地頭御家人の所領支配には原則として介入しなかった。在地領主側では、一族の族内秩序や上部権力からの賦課の分担については置文(おきぶみ)などの形で規制をつくり、所領内住民に対しては検断権を核として裁判を行った。成文法がつくられることもあり、これには宇都宮氏弘安(うつのみやしこうあん)式条、宗像氏事書(むなかたしことがき)などがある。
(2)14~16世紀の国人(こくじん)領主は血縁や地縁によって一揆(いっき)を形成し、領主相互の秩序を定めた。肥前(ひぜん)松浦(まつら)党の一揆、安芸(あき)小早川(こばやかわ)氏の一族一揆、陸奥(むつ)相馬(そうま)の五郡(ごぐん)一揆などの一揆契状(けいじょう)では、上級権力に対して一致して行動すること、逃亡した百姓を元の領主のもとに戻すことや、市(いち)の維持などを規定、上級権力の介入を排除し「近所之儀」という在地領主相互の協定を重んじている。
(3)14~16世紀の惣(そう)・惣村などとよばれる農民集団にあっては、惣掟(おきて)・惣置文などの成文法が制定され、村落秩序の維持が図られている。これには近江(おうみ)大島庄(おおしまのしょう)・今堀郷(いまぼりごう)・菅浦荘(すがのうらのしょう)などの例があり、村落自身が検断権を行使する自検断もあった。
(4)戦国大名の家法・分国法も(1)(2)の延長上でみれば在地法といえるが、大名権力と家臣の自立した所領支配との対抗・緊張関係があり、江戸時代の幕府法・藩法の前段とみることもできる。
[羽下徳彦]
『藤木久志著『戦国社会史論』(1974・東京大学出版会)』▽『笠松宏至著『日本中世法史論』(1979・東京大学出版会)』▽『勝俣鎮夫著『戦国法成立史論』(1979・東京大学出版会)』