甲布は紺木綿、盲縞(めくらじま)で、底に加硫ゴムをつけた足袋。地面にじかに履くので直足袋(じかたび)、跣足袋(はだしたび)ともいう。農村、鉱山、土建など労働作業用の履き物である。縫い付け地下足袋は甲と底を縫い付けたもの。こはぜの枚数は5、7、10、12枚などがあり、脚絆(きゃはん)がわりにもなって、足首をよく締めることができる。底ゴムは、高所や危険な足場作業に向くように柔軟性をもたせ、足裏の感触をよくし、滑り止めを配慮してある。張り付け地下足袋は、縫い付け部分を張り付け式にしたもので、こはぜの多い軽装地下足袋と、三枚こはぜを標準とする普通地下足袋がある。古来から戸外で労働に従事するときは、はだしか草鞋(わらじ)履きであり、非衛生、危険であるうえに、1日に1足履きつぶす草鞋は不経済でもあった。明和(めいわ)(1764~72)ごろには、忍(おし)(埼玉県行田(ぎょうだ)市)の刺し足袋は名産とされた。これは足袋底を太糸で刺して補強したもので、鷹匠(たかしょう)足袋ともいわれ、鳥刺し(江戸幕府の鷹の餌(え)を納める者)、旅装用として用いられた。明治の初めごろから、雲斎(うんさい)底(雲斎織を使用)、石底(石底織)なども用いられるようになったが、多くは、綿布を糊(のり)張りして太糸で刺したものを足袋底にしていた。明治30年代にゴム底をつけた足袋が試作され、1917年(大正6)にはタイヤ裏を縫い付けたものが製造販売された。23年には新案のゴム底を張り付けた地下足袋が、石橋正二郎によって売り出され、爆発的人気をよんだ。国内ばかりでなく、中国など大陸方面にも輸出され、第二次世界大戦中は農業用、鉱山用として生産はピークに達した。
[岡野和子]
厚い布の甲にゴム底をはりつけた,地上でじかにはく足袋。〈じきたび〉ともいう。関東でちかたびと呼ばれたため地下足袋の字があてられた。1922年(大正11)に,足袋製造業者(ブリヂストンの前身)であった石橋徳次郎・正二郎兄弟により発明され,翌年1月〈アサヒ地下足袋〉として発売された。足袋にゴム底を縫いつけた履物はすでに阪神地方などで用いられていたが,地下足袋はゴム底をはり付けにし,すべり止めの溝を入れたりしてまったく新しい耐久性のある履物として売り出された。同年の関東大震災後の東京で,復興作業のために需要が増え,1月の日産約1000足から年末には日産1万足に達したという。指股の分かれた労働用の履物は,江戸時代には革製の足袋沓(たびぐつ)があり,また農山村では補強のために刺子をほどこした足袋とわらじを履いていた。足指が開いてふんばりのきく地下足袋は,労働用の履物の機能をよくいかしたもので,現代でも土木,造船,建築などの作業に欠かせないものとなっている。
執筆者:潮田 鉄雄
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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