地福寺(読み)じふくじ

日本歴史地名大系 「地福寺」の解説

地福寺
じふくじ

[現在地名]大磯町大磯

大磯の南西部、東小磯ひがしこいそ寄りの東海道を見下ろす小高い丘の上にある。船着山円如院地福寺と号し、東寺真言宗。本尊は不動。関東五法談所の一つ。寺伝によれば承和四年(八三七)二月僧杲隣の開基。天文二三年(一五五四)一一月一八日付足利晴氏寺領寄進状(県史三)に「大礒郷舟付之談所地福寺」とみえ、同郷のうち「寺中南北畠弐町五反并田壱町、是者号坂田」が須藤慶蓮から寄進されている。

戦国期には小田原北条氏の保護を受け、永禄二年(一五五九)八月一八日の北条家朱印状(県史三)によれば、客殿修理のため二宮(現二宮町)六月ろくがつ関の関銭より五〇〇疋を与えられている。


地福寺
じふくじ

[現在地名]五條市久留野町小字道場前

久留野くるの集落中央に位置。もと金剛山行者坊と号し、高野山真言宗。明治四年(一八七一)神仏分離の際、現御所ごせ市の金剛山転法輪てんぽうりん寺の法起菩薩を移したが、損傷はなはだしく焼却、同九年新像を造顕した。


地福寺
じふくじ

[現在地名]上京区七番町

宝珠山と号し、真言宗醍醐派。寺伝では弘仁年中(八一〇―八二四)真済葛野かどの安井やすい(現京都市右京区)に創建し、享保一二年(一七二七)道空が現在地に移転再建したという。本尊の薬師如来は日限薬師と称し、京都一二薬師の第五番。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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