坂梨村(読み)さかなしむら

日本歴史地名大系 「坂梨村」の解説

坂梨村
さかなしむら

[現在地名]一の宮町坂梨・中坂梨なかさかなし

東は阿蘇外輪山原野、西は南に高く北に低い傾斜した火口原の平野で、西は宮地みやじ村、北は北坂梨きたさかなし村と接する。豊後街道が東西に通じ、滝室たきむろ坂により外輪山上の小地野しようちの(現波野村)に至る。中世には南坂梨(郷)といわれ、阿蘇谷の東郷のうちで、当郷を本郷とする外輪山外側に位置する「野里のさと」を含む。治承二年(一一七八)三月一三日の阿蘇社宮師僧長慶譲状案(阿蘇家文書)によれば、青龍しようりゆう寺の供僧の宮師であり、正覚しようかく寺別当でもある長慶が、嫡子亀法師丸に譲ったうちの一町一段と五段の地は「南坂梨 栗木」「同千与縁」にあり、栗木くりきは近世坂梨村の小村として残る。弘安一〇年(一二八七)三月二三日の宇治惟景譲状写(同文書)では、宇治惟景が阿蘇社大宮司職および南郷の村村を先に譲った惟資の死去を伝え、その子惟種が病弱によるため惟国に譲り直している。代々大宮司職とともに伝領された南郷の村々であるが、このうちかしわ(現蘇陽町)は惟種のために残したようで、その代わりに「南さかなし一向此譲あたうなり」とみえ、社領から大宮司の所帯となった。同年一〇月一三日の北条為時下文(同文書)で南郷の村々に「南坂梨子」が加えられ安堵されている。元徳二年(一三三〇)五月一〇日の阿蘇庄内南坂梨郷田畠坪付注文案(同文書)によると、総合計三六町六反三丈で免田は三〇町七反、給分は三町八反一丈中、新開二町一反一丈中とあり、免田は阿蘇下社分が一八町七反四丈、供僧分が六町八反で、それぞれ一宮・二宮・三宮・四宮・五宮・六宮・七宮・九宮・金凝宮・北宮免・宮地免と一和尚免・宮師免・吉丸供僧免・神用供僧免とある。このほかの免田は猿楽免・笛吹免で、このほかに猿楽田・大山おおやま寺灯油田・神主田・御米田などがある。給分は六所、新開分は一八所である。このほかに検注の結果の増分である余田が二町余ある。それぞれの一筆ごとの田畠には請作人が記され、屋敷・薗・政所なども含んで全部で三〇人がみられる。

当郷を本郷とする外輪山の外側斜面にある分村を含んでおり、本郷の田地とセットとなっている百姓屋敷が「さとの村」とよばれるのに対し、田地が乏しく畠作生産物をおもな貢納物とし、「野里」とよばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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