城山城跡(読み)きのやまじようあと

日本歴史地名大系 「城山城跡」の解説

城山城跡
きのやまじようあと

[現在地名]新宮町下野田馬立、龍野市揖西町中垣内

山と周辺尾根に築かれた南北朝から戦国時代にかけての山城跡。木山城などとも記され、「きやま」ともよばれる。嘉吉の乱で落城するまで播磨守護赤松氏の本城であった。亀山は現龍野市と新宮町の境界線上に位置し、標高は四五八メートル。大手と伝えられる東側山麓馬立うまたてからの比高は約四二〇メートル。揖保川東岸を南北に続く尾根上にあり、山麓には中世から近世にかけて姫路と美作国津山を結ぶ美作道が通っていた。

文和元年(一三五二)一一月一〇日、矢野やの(現相生市)への「城山城誘人夫」の催促が確認でき(文和二年四月一三日「矢野庄公田分学衆方年貢等散用状」教王護国寺文書)、この頃から築城が開始された。


城山城跡
じようやまじようあと

[現在地名]美方町大谷忠宮

大谷おおたに集落の南側、小代おじろ谷を北流する矢田やだ川と久須部くすべ川に挟まれた山上に所在し、城域は東西約五一〇メートル・南北約五〇〇メートル。標高三九六・七メートルに位置する主郭(東西約一一メートル・南北約二メートル)を中心に、四方に派生する尾根に連郭式に曲輪を配置しており、主郭部と四つの砦から構成される。文献的には戦国末期まで存続が確認できるが、南北朝期から室町期の城郭遺構が良好に遺存している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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