日本歴史地名大系 「城郷」の解説 城郷うばらきごう 茨城県:常陸国茨城郡城郷「和名抄」に「茨城」と記され、訓を欠く。弘安大田文の在庁名のうちに「稲久二十八丁七段六十歩加茨城定」とみえる。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、府中〔今新治郡ニ属ス〕ニ、茨城ト云フ処アリ〔府中ヨリ、高浜ニ出ル間ニアリ〕、土人呼デ娑良幾ト云フ、相伝ヘテ茨城ノ本郷トス、コレ古ヲ忘レザルナリ」とあり、比定地は定かでないが、郷域は現新治(にいはり)郡千代田村市川(いちかわ)、同郡玉里(たまり)村田木谷(たぎや)、石岡市東田中(ひがしたなか)・東大橋(ひがしおおはし)・高浜(たかはま)の一帯とされる。 城郷ぬきごう 宮城県:陸奥国長岡郡城郷「和名抄」は諸本とも訓を欠く。「日本地理志料」では「奴万岐」と読み、「潴城」の誤りとし、小松(こまつ)・沼辺(ぬまべ)・大嶺(おおみね)・小塩(おしお)・三高野(さんこうや)・八幡(やわた)・田尻(たじり)(現遠田郡田尻町)にわたる地とする。 城郷うばらきごう 茨城県:常陸国那賀郡城郷「和名抄」に「茨城」と記され、訓を欠く。「常陸国風土記」那賀郡の項に「茨城の里」とある。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、今ノ茨城郡小原村ナリ、(中略)サテ那珂ノ茨城ヲ今ノ小原村ナリト云フコトハ、風土記ニ所謂茨城今存那珂郡之西ト云フモノ一証ナリ、コノ小原ノ地ハ、古ノ那珂郡ノ地ニトリテハ、尤西ノ限ナレバナリ」とあり、現西茨城郡友部町小原(おばら)に比定する。 城郷いばらきごう 千葉県:下総国匝瑳郡城郷「和名抄」所載の郷。同書名博本では茨木とする。諸本とも訓を欠くが、イハラキ、または常陸国茨城郡に牟波良岐の訓があり、ウハラキであろう。 城郷むばらきごう 静岡県:伊豆国田方郡城郷「和名抄」諸本にみえる郷名。訓を欠くが、同書東急本国郡部の常陸国茨城郡の「牟波良支」の訓と同じであろう。ただし「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)八月一七日条に「蕀木」がみえ、イバラキかもしれない。 城郷ぬきごう 宮城県:陸奥国柴田郡城郷「和名抄」は諸本とも訓を欠く。九世紀後半の柴田郡兵士歴名簿(胆沢城跡出土漆紙文書)に「潴城」とある。「日本地理志料」では溺は潴の誤りとして「奴岐」と読み、沼辺(ぬまべ)村(現村田町)の地とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by