朝日日本歴史人物事典 「堀田正敦」の解説
堀田正敦
生年:宝暦8(1758)
江戸後期の若年寄,近江堅田,下野佐野藩主。博物学者。摂津守。仙台藩主伊達宗村の8男として仙台で生まれる。天明6(1786)年堅田藩主堀田正富の養子,翌年家督相続,1万石。寛政1(1789)年大番頭,翌2年若年寄,勝手掛となり寛政改革の財政を担当。文化3(1806)年に1万3000石,翌年にはロシア船来航により蝦夷地に赴き,文政9(1826)年下野佐野に転封。12年に1万6000石。天保3(1832)年に75歳で致仕するまで43年間若年寄の職にあった。この間『寛政重修諸家譜』編纂を総括するなど幕府の系譜編纂事業に寄与。また屋代弘賢,林述斎,大槻玄沢,谷文晁 ら学者,文人と交際,彼らの学問,芸術の庇護者となる。自らも博物学者として近世最大の鳥類図鑑『観文禽譜』を編纂した。<著作>『水月文章』『水月詠藻』『幕朝年中行事歌合』『蝦夷紀行』<参考文献>福井久蔵『諸大名の学術と文芸の研究』
(根岸茂夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報