コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

塩沢昌貞 しおざわまささだ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

塩沢昌貞
しおざわまささだ

[生]明治3(1870).10.20. 水戸
[没]1945.7.7. 伊東
経済学者。 1891年東京専門学校 (現早稲田大学) 英語政治科卒業後,アメリカ,ドイツに留学。ベルリン大学では A.ワーグナーおよび G.シュモラーについて財政学経済学を専攻。 1902~43年母校で経済学を講じ,この間 11年政治経済学科長,21年学長 (22年より総長と改称) 。 23~42年政治経済学部長。また 26年社会政策学院院長,34年帝国学士院会員。 38年ジュネーブの国際労働会議,リヨンの国際連盟会議,プラハの社会政策国際会議などに出席。 40年日本の小作調査会委員。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

塩沢昌貞 しおざわ-まささだ

1870-1945 明治-昭和時代前期の経済学者。
明治3年10月20日生まれ。アメリカ,ドイツに留学後,早大で経済学をおしえ,大正12年同大学総長に就任。大隈重信知恵袋とよばれ,国際連盟協会国際会議の日本代表,協調会付属社会政策学院院長などをつとめた。昭和20年7月7日死去。76歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。東京専門学校(現早大)卒。旧姓は関。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

しおざわまささだ【塩沢昌貞】

1870‐1945(明治3‐昭和20)
経済学者。関恒昌の次男として茨城県に生まれ,のち塩沢元孝の養子となる。栗田寛について国漢学を修めたのち,早稲田大学の前身東京専門学校英語政治科に学び,1891年卒業。1896‐1900年アメリカのウィスコンシン大学に留学,R.T.イーリー指導下に経済学を専攻,ドクター・オブ・フィロソフィーの学位を得,さらに1901‐02年ドイツに留学,ハレ大学ではJ.コンラートにつき,またベルリン大学ではA.H.G.ワーグナーおよびG.シュモラーについて経済学と財政学を研究した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

塩沢昌貞の関連キーワード普仏戦争オリビエ(Emile Ollivier)製糸業日本科学史奈破崙開拓使コッペリア文化闘争グロージェンキンス

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android