夕方に発行される新聞。近・現代の日刊新聞の大部分は、その日の始まりである朝に発行される新聞と、その日の昼の終わりである夕方に発行される新聞に二分できる。日本においては、日刊新聞の多くが、朝刊と夕刊をセットにした制作販売システムをとっているが、夕刊は、たとえば東京ではその日の午前1時35分以降午後1時30分までに収集・編集されたニュースを素材として製作される。朝・夕刊のセットではなく、夕方にのみ発行される新聞(単独夕刊紙)は日本では希少である。これに対し、欧米の新聞は朝刊紙、夕刊紙いずれかの単独発行であり、アメリカではむしろ夕刊紙のほうが圧倒的に多い。
日本の夕刊紙の始まりは1877年(明治10)11月創刊の『東京毎夕新聞』とされる。日露戦争(1904~05)当時、新聞各社が戦況速報のため1日に何回も号外を発行し「号外合戦」を展開した。これによって、読者の間に1日に何度もニュースを読む習慣が生まれ、夕刊発行が活発化した。朝・夕刊を発行する社が増えたのは大正期に入ってからである。
しかし2001年(平成13)現在の日本において、夕刊紙という名称をもって規定される新聞は、東京、大阪などの大都市で発行され、キオスク、コンビニエンス・ストアなど戸別配達以外の方法で直接読者に販売する娯楽色の濃い新聞をさすと理解してよいだろう。そのような意味における夕刊紙は、記事内容、文体、および編集スタイルにおいて読者の興味を引きつける紙面づくりが志向され、著しく煽情(せんじょう)的であることを特色とする。すなわち、スポーツ、ショービジネス、事件事故などのフィーチャー(特集)もしくはゴシップ情報に加えて、商品化された性情報などを提示する大衆紙(ポピュラー・ペーパー)である。それらの新聞の読者層は、官庁・企業・団体等に勤務する膨大な男性勤労者層であり、その閲読場所は日々の仕事からの帰宅途上における車中である。この種の代表的な新聞として、1969年(昭和44)東京で創刊された『夕刊フジ』(タブロイド判)は、「現代に挑戦するサラリーマン新聞」と自らを規定している。
[高須正郎・林 利隆]
夕刻だけに発行される新聞。イギリスで1781年に創刊された《ヌーン・ガゼット・アンド・デーリー・スパイ》が最初の夕刊紙とされる。しかしこれは代表的な朝刊9紙からの抜書きを集めて正午に発行したものであった。本格的な夕刊紙はやはりイギリスで1788年に創刊された《スター・アンド・イブニング・アドバタイザー》である。アメリカでは1880年代から中西部および西部で急速に夕刊紙が創刊された。これは東部やヨーロッパとの時差を生かし,また通信・印刷技術の発達を利用して〈今日のニュースを今日〉を売物に読者を獲得しようとしたためである。一般に欧米の夕刊紙は,日本のように朝・夕刊が同一の新聞社から発行されるということはない。
日本では1877年創刊の《東京毎夕新聞》が最初とされる。その後1969年創刊の《夕刊フジ》が軽い読物中心の夕刊紙として東京で成功したのを初めとして,大都市でタブロイド判夕刊紙が読まれるようになった。この傾向は全国紙や地方紙の夕刊紙面にも影響し,(1)硬い政治,経済,国際などのニュースは追放するか簡略化し,(2)代りに地域情報,生活情報を増やし,(3)読物を中心とする紙面づくりが進められている。こうした背景には,同一新聞社の朝・夕刊を両方購読しないとニュースの流れがわからないという日本独特の〈朝・夕刊ワンセット制〉が崩れ,夕刊離れが強まっている状況がある。夕刊のソフト化は読者をつなぎとめようとする方策の一つにほかならない。
執筆者:新井 直之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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