改訂新版 世界大百科事典 「外国人労働者」の意味・わかりやすい解説
外国人労働者 (がいこくじんろうどうしゃ)
もっぱら高賃金の取得という経済的理由にもとづき国外から移住してきた出稼労働者をその受入国で呼ぶ名称。滞在は短期であることが原則で,滞在が恒久的であり,究極的には国籍の変更を伴う移民とは,いちおう区別される。また政治的理由により移住する難民や亡命者とも異なる。農業労働のように繁忙期にごく短期間,移入し雇用される季節労働者や国外に居住し日々,国境を越えて通勤するいわゆる国境労働者Grenzgängerもこれに含まれるが,量的に多くかつ近年重要なものは,当該国に移住し,1年以上にわたって常用される外国人の場合である。西ヨーロッパにおける外国人労働者に対する呼称は各国で異なるが,一般にイギリスではイミグラント・ワーカーimmigrant worker(移民労働者の意,フランスも同義のtravailleur immigré),スイスではフレムトアルバイターFremdarbeiter(外国人労働者),ドイツではガストアルバイターGastarbeiter(客員労働者)などと呼ばれる。外国人を移入し労働者として雇用することは,歴史的にみて新しい現象ではない。中国民族の海外移住者である華僑(かきよう)(東南アジア地域が圧倒的に多い)は,かなり古くからみられたし,とりわけアメリカや南米諸国への移民は19世紀の後半から活発に行われた。移民も労働力の国際的移動という視点からみれば,外国人労働者と本質的な差はない。だが1950年代の後半以降,労働力国際移動の型には注目すべき変化がみられた。西欧先進資本主義国へのヨーロッパ周辺諸国からの移入が大量に行われてきたことである。以下ではこの新しい現象を中心に述べる。
移入国は,一般に,西ヨーロッパの先進資本主義国(フランス,イギリス,ドイツ,スイス,オランダ等々)であり,移出国は,概してその周辺に位置する後進資本主義国,発展途上国(イタリア,スペイン,ポルトガル,ギリシア,トルコ,ユーゴスラビア,北アフリカ諸国,パキスタン,インド等々。ただし,イタリア,スペインなどは1980年代ころから移入国に転じている)である。その他の特徴として,量的に大きいこと(家族を含め全体で1970年代半ばで1500万人にものぼると推定され,当該国就業人口の1割を上回る場合もみられる),動機が経済的であること(移入国で得る賃金は移出国の水準の数十%アップから3倍ないし4倍にもなる),永住でなく短期的移住(1年ぎめや3~5年のものなどさまざま)を原則とすること,などを指摘できる。だが当初の期間終了後もかなりの部分が滞在しており,10年あるいはそれ以上になるケースもみられる。
この新しい型の移入は,1950年代後半以降西欧諸国で経済成長が持続し旺盛な労働力需要がみられたこと,とりわけ相対的に劣位の労働市場が逼迫(ひつぱく)したこと,他方,移出国では慢性的な過剰人口が存在したこと,によって生じた。先進国の労働者は〈超完全雇用〉状態のもとでより有利な職に移動し,低賃金で労働条件の悪い職場に欠員が生じた。この不足を埋めるために移入されたのが外国人労働者にほかならない。彼らの就業分野は移入国の事情によって違いがあるが,概して,鉱山,建設,鉄鋼・金属,機械,自動車等の産業や都市の清掃,下水工事,交通,サービス業等に集中しており,先進国労働者が就業を嫌う職種(低賃金で労働条件の劣悪な部門)に多い。就業には労働許可を要するなど各種の行政的規制がある。労働許可が認められなければ,自動的に帰国を余儀なくされるから,不況の場合,この措置によって移入国は雇用量をコントロールできる(ただしEC加盟国出身者は1968年以降,域内では労働許可を必要としない)。移入国政府は当初,一定期間に入れかえを図る〈ローテーション〉原則を考えていたが,経費の点や良質な外国人労働者を継続して雇用したい使用者の要請からも,厳密にこれを適用できない。しかし,各国とも国籍を与えることには消極的で,帰化はごく例外的にしか認められない。ここに重大な問題がある。言語をはじめ種々な文化的基盤を異にする人々が,多数,居住国の市民権をもたずに長期間滞在する事態からさまざまな問題が生じている。彼らは,不安定な立場のゆえに(とくに労働許可のない〈不法〉就労の場合)不利な労働条件を甘受しがちであり,昇進の機会も少なく災害率も高い。不況期にはまっ先に整理の対象となる。特定地区にかたまって住み,現地の生活にとけこめず,住宅問題や治安上のトラブルもおきている。また,外国人労働者の間にも独自な,労働条件改善の行動(たとえば1973年にドイツでおきた〈トルコ人ストライキ〉)や選挙権を要求する動きもみられる。
他方,移出国にとっては,出稼者の送金が外貨不足を補う有力な手段となっているが,それはもっぱら個人消費に支出され,工業化にはあまり寄与していないのが現状である。むしろ不況期に帰国者が還流し,失業問題を激化させること,また若い働きざかりの労働力を流出することによる損失などの不利な面も少なくない。1973年秋の石油危機以降,フランス,ドイツが新規の募集を停止するなど,移入に対する制限措置がとられている。が,すでに移入したものがなお相当数滞在しており,さらにその子女が学業を終えて就業年齢に達しており,これが新たな問題となっている。
→移民
執筆者:徳永 重良
日本における外国人労働者
日本で外国人労働者問題が本格化するのは,1985年9月のプラザ合意による〈円高・ドル安〉の容認がひとつのメルクマークとなろう。89年12月,出入国管理及び難民認定法(入管法)が改正され,90年6月施行された(〈出入国管理〉の項参照)。すなわち,すべての外国人を就労可と就労不可に二分するとともに,〈就労不可〉とされる者を雇用した場合に備え,雇用主処罰規定(3年以下の懲役または200万円以下の罰金)を新設したのである。また,在留資格を18種から28種に拡充したが,それは主として専門的な職種についてであり,外国人の〈非成熟労働〉への就労は従来通り認めず,外国人労働者は受け入れない,とする建前と現実との乖難は避けられなくなった。
入管法改正後の最大の変化は,在留資格の〈日本人の配偶者等〉を拡大解釈することにより,就労が自由化された日系人(日本人の二世・三世)の激増であり,とくにブラジル日系人が最も多い(〈ブラジル〉の[日本人移民]の項参照)。ブラジル人,ペルー人(ほとんどが日系人とみられる)の在留者数は,1990年の約6万7000人から95年に21万人以上に増加しており,95年末現在,就労を認められた外国人約112万のうち2割近くを占める。日系人の受入れはその〈身分〉関係のゆえとされるが,現実には外国人労働者の導入政策となっている。また,93年4月から始まった〈技能実習〉制度は,〈研修〉という在留資格の拡充(2年の期間のうち後半は就労して技能を磨くというもの)として設けられたが,他方では中小企業の人手不足対策の面もある。
このほかに資格外就労(不法就労)の外国人が多数存在し,法務省の推計によれば,96年5月現在,28万4500人に及び,国別では韓国,フィリピン,タイ,中国などが多い。
執筆者:黒田 満
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報