正式名称は東京都多摩動物公園といい、日野市にあり、都が経営する。上野動物園(正式名は東京都恩賜上野動物園)の付属動物園として1958年(昭和33)5月5日に開園したが、1965年より昇格し、上野動物園と同格となった。同園の設立目的は、従来よりの上野動物園の入園者の過密を緩和すること、また、日本にはみられなかった新しい動物園を創造するところにあり、1956年より建設を始め、2年後に開園したものである。上野動物園は第二次世界大戦後にいち早く郊外に動物園の土地を求め、1948年に新宿動物園構想を打ち出したが実現せず、この構想が多摩動物公園の基になっている。新しい動物園を目ざした同園は、その建設にあたり無柵放養式(むさくほうようしき)の形態をふんだんに取り入れ、28.7ヘクタールの土地に、アジア産の動物をおもに飼育展示し開園した。その後、アフリカ産の動物を展示するアフリカ園が1962年に加えられ、面積52.4ヘクタールの現在の形態となった。施設的には、1961年に昆虫の飼育にも取り組む昆虫園、1964年にサファリ形式のライオン園、1984年にオーストラリア産の動物を飼育するコアラ館が完成している。2002年(平成14)には昆虫園本館がリニューアルオープンし、ハキリアリなどの外国産昆虫の飼育展示も本格的に行われるようになった。2003年現在、飼育動物170種1394点のほかに常時80種ほどの昆虫類が飼育されている。
[齋藤 勝]
『東京都多摩動物公園編・刊『開園20周年 多摩動物公園』(1979)』▽『中川志郎著『多摩動物公園』(1981・東京都公園協会)』▽『矢島稔編著『昆虫の国 多摩動物公園昆虫生態園をつくる』(1990・けやき出版)』▽『東京動物園協会監修『多摩動物公園ガイドブック』(1990・東京動物園協会)』
東京都日野市にある東京都立の動物園。市街地の限られた場所に多くの動物を展示する都市動物園に対して,無柵放養式で生態的展示法を採用した日本初の動物園。檻(おり)による動物飼育の発展として放飼場の周囲に堀をめぐらして脱出を防ぎ,動物の生息環境を見せる形式は欧米では部分的に以前からあった。この様式を当初からとり入れ,しかも動物舎を動物地理学的に配置するなど新しい発想を現実化して1958年5月開園。多摩丘陵の自然を生かし公園としての機能ももつ。67年ライオンをバスから見る方法を開発したが,これが日本におけるサファリ型式の原型とされている。また多頭飼育を目標とし,アミメキリンの繁殖をはじめ鳥獣の出産率はたかく,飼育技術の向上に著しく貢献している。また動物園施設としては最初の昆虫園(インセクタリウム)を設けて小動物の啓蒙につとめるなど教育普及にも力をいれている。97年現在総面積は52.3ha,年間入園者は約120万人である。84年末からコアラの飼育展示が始められた。
執筆者:矢島 稔
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…しかし本格的なものは1954年宝塚昆虫館に設けられ,つづいて57年豊島園にもできた。61年には多摩動物公園に当初から生態展示を目的とした施設ができ,温室の中で一年中チョウを飛ばす技術の開発に成功し,新しい展示法の実現によって,多くの人に昆虫に親しみ,自然を知る機会を与えるという点で大きな役割を果たしている。なお,97年現在,国内に約30の施設がある。…
※「多摩動物公園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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