日本大百科全書(ニッポニカ) 「多武峯少将物語」の意味・わかりやすい解説
多武峯少将物語
とうのみねのしょうしょうものがたり
平安中期、10世紀後半の仮名文学。伝本の多くは「多武峯少将」とする。「物語」を書名に添えるのは江戸時代に入ってからである。『高光(たかみつ)日記』ともよばれるが、『河海(かかい)抄』(『源氏物語』の注釈書。14世紀)などに引く『高光日記』と同一かどうかについては説が分かれる。藤原師輔(もろすけ)の八男高光(法名如覚(にょかく))が961年(応和1)12月、比叡(ひえい)山の横川(よかわ)で出家した事件を背景に、彼の出家前後から翌年8月に多武峯に移る以前までを、残された高光妻(藤原師氏の娘)や、高光同母妹の愛宮(あいみや)などの悲しみを中心に記している。作中の人物の呼称は正確で、高光らには敬語が用いられており、作者は高光妻に仕え、愛宮にも親しい侍女かと思われる。成立も962年ごろであろう。『蜻蛉(かげろう)日記』にやや先だつ、女流による仮名散文作品で、文章表現も初期仮名散文の特徴を備えている。作者自身の心情の吐露はきわめて少ないが、平安女流文学の形成をたどる意味で貴重である。
[鈴木一雄]
『玉井幸助著『多武峯少将物語――本文批判と解釈』(1960・塙書房)』▽『小久保崇明著『多武峯少将物語――本文及び総索引』(1972・笠間書院)』