多比良(読み)たいら

日本歴史地名大系 「多比良」の解説

多比良
たいら

中世よりみえる高来たかく郡の地名。地名としては南北朝期にみえるが、当地名を称したと考えられる多比良氏がおり、平治元年(一一五九)平氏に抗して挙兵した肥前国住人日向太郎通良(「源平盛衰記」巻二)子孫と伝える。元亨三年(一三二三)に多比良六郎左衛門尉通世は高来西たかくさい郷の郡司図師の得分用途一九貫七二二文を伊福いふく(現瑞穂町)地頭の大河幸蓮に抑留されたとして鎮西探題に訴えている(同年一一月日「多比良通世申状案」大川文書)。また同氏につながると想定される弥六郎左衛門尉が筑前国三奈木みなぎ(現福岡県甘木市)の一〇町を恩賞として与えられていた(観応二年一二月二五日「足利直冬宛行状写」肥前佐賀文書纂所収山代文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「多比良」の意味・わかりやすい解説

多比良
たいら

長崎県南東部,雲仙市北部の旧町域。島原半島北部にある。 1937年町制施行。 1956年土黒村と合体して国見町となる。 2005年6町と合体して雲仙市になった。商業機能の発達した集落で,多比良港から有明海を挟んで対岸長洲 (熊本県) との間に有明フェリーが運航する。このルート長崎市中九州とを結ぶ最短交通路をなす。

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世界大百科事典(旧版)内の多比良の言及

【国見[町]】より

…長崎県南東部,南高来郡の町。1956年多比良町と土黒(ひじくろ)村が合体して国見町となり,57年神代(こうじろ)村を編入。人口1万1847(1995)。…

※「多比良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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