大井宿(読み)おおいしゆく

日本歴史地名大系 「大井宿」の解説

大井宿
おおいしゆく

[現在地名]大井町大井

江戸と川越城下を結ぶ川越街道に置かれた宿。戦国期以来の川越城と江戸を結ぶ道(旧川越街道)は武蔵野原野を蛇行していたが、寛永一六年(一六三九)川越藩主となった松平信綱時代に武蔵野開発と併行してほぼ直線的に改修・整備し、宿駅を設け、伝馬制を整えたとされる。当宿はそれまで旧街道沿いにあった集落を一―二キロ西側を通る新道沿いに移転させたもので、旧道沿いに現在も本村もとむら元屋敷もとやしき古堂跡ふるどうあとなどの地名が残る。大井村名主新井家は領主の旗本米津氏から元禄三年(一六九〇)から同七年の間に本陣(問屋兼帯)を命じられたと伝える。慶応三年(一八六七)の大井町絵図(新井家蔵)ほかによる宿場復元図(大井町郷土研究会調査)によれば、宿の出入口には木戸があり、脇に旅の安全を願って石地蔵が建立されていた。本陣屋敷入口には長屋門、脇に高札場があり、本陣南隣に会所があった。


大井宿
おおいしゆく

近世中山道の江戸から四六番目の宿場であった。慶長八年(一六〇三)の大久保長安伝馬控書写(野呂文書)によれば伝馬二五匹、人足一〇人が定められており、江戸幕府による公式の宿駅制設定以前からの宿場である。分間延絵図によれば、東から西へ向かう中山道は板橋を渡って宿に入り、南へ折れてよこ町となり、ここに本陣がある。また西へ曲がったところがほん町で、問屋場が北側に、もう一軒の問屋場と脇本陣が南側に並ぶ。北へ折れてたて町、西へ折れて茶屋ちやや町、南へ折れて橋場はしばと続き、北流する阿木あぎ川を板橋で渡る。「濃州徇行記」に「一体此宿は皆板屋にて町巾も広く都て旅籠屋かゝりよし、又農商を兼たる者など多くありて近村より色々調へ物に来り、相応に商ひも繁昌せり」とある。また信州方面から商人や牛馬荷物も通行し、伊勢神宮参拝の人も多いという。

中津川宿へ二里半、大湫おおくて宿(現瑞浪市)へ三里半で宿内町並東西六町半、天保一四年(一八四三)の宿内家数一一〇・人数四六六(男二四五・女二二一)、旅籠屋四一(大四・中二三・小一四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「大井宿」の解説

大井宿

(岐阜県恵那市)
ぎふ百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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