日本歴史地名大系 「大井宿」の解説
大井宿
おおいしゆく
江戸と川越城下を結ぶ川越街道に置かれた宿。戦国期以来の川越城と江戸を結ぶ道(旧川越街道)は武蔵野原野を蛇行していたが、寛永一六年(一六三九)川越藩主となった松平信綱時代に武蔵野開発と併行してほぼ直線的に改修・整備し、宿駅を設け、伝馬制を整えたとされる。当宿はそれまで旧街道沿いにあった集落を一―二キロ西側を通る新道沿いに移転させたもので、旧道沿いに現在も
大井宿
おおいしゆく
近世中山道の江戸から四六番目の宿場であった。慶長八年(一六〇三)の大久保長安伝馬控書写(野呂文書)によれば伝馬二五匹、人足一〇人が定められており、江戸幕府による公式の宿駅制設定以前からの宿場である。分間延絵図によれば、東から西へ向かう中山道は板橋を渡って宿に入り、南へ折れて
中津川宿へ二里半、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報