大原(京都市)(読み)おおはら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大原(京都市)」の意味・わかりやすい解説

大原(京都市)
おおはら

京都市北東部、左京区の北部にある一地区。比叡山(ひえいざん)北西麓(ろく)の山間の小盆地で、八瀬(やせ)から高野(たかの)川に沿って、京都と若狭(わかさ)を結ぶ若狭街道(現、国道367号)が古くから通じていた。歌枕(うたまくら)の「大原の里」で知られた洛北(らくほく)の静寂な山村であるが、史跡に富み、近年は四季を通じて観光客が訪れ、ことに秋の紅葉時はにぎわう。

 平安時代には炭、薪(まき)、柴(しば)などを産することで知られ、京の町にそれらを売り歩く大原女(おはらめ)も古くからみられた。藍(あい)の着物、御所染の帯、甲掛(こうがけ)と脚絆(きゃはん)などの服装をいまに伝えるが、寂光院(じゃっこういん)の建礼門院に仕えた阿波内侍(あわのないし)の姿をまねたものといわれている。三千院(さんぜんいん)は円融院(えんゆういん)とも号し、天台宗延暦寺(えんりゃくじ)の別院で、天台三門跡(さんもんぜき)寺院の一つ。本堂の往生極楽院(おうじょうごくらくいん)は1148年(久安4)の建立で、藤原期の典型的な阿弥陀堂(あみだどう)様式を示し、国の重要文化財に指定されている。堂内にも国宝の木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(ざぞう)などがある。三千院の南に、慈覚(じかく)大師円仁が仁寿(にんじゅ)年間(851~854)に創建したという来迎院(らいごういん)があり、かつては境内に多数の諸院が存在したという。また三千院の北の勝林院は、法然房(ほうねんぼう)源空が天台の座主たちと「大原問答」をたたかわせた所といわれる。三千院と若狭街道を隔てた西には、安徳(あんとく)天皇の母后建礼門院が庵室(あんしつ)を営んだ寂光院があり、『平家物語』の「大原御幸」で知られている。大原の北の古知谷(こちだに)には、若狭街道に面して中国風の山門のみえる阿弥陀寺がある。1609年(慶長14)に弾誓上人(たんぜいしょうにん)が開創した古刹(こさつ)である。

織田武雄


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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