太原山
創
勝林院
」とみえる。寂源は「栄花物語」巻一二に、長和五年七月の雅信室の臨終の際「大原の入道の君も、年頃里にいでさせ給はざりつる、こたみさへはいかでかときゝ過し難くて参り給て、ただ御枕上にて、念仏をし聞せ奉り給ふ」と記され、「古今著聞集」巻二にも「少将の聖(中略)卅余年堂行三昧を行せられける」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区大原勝林院町にある天台宗の寺。魚山(ぎょさん)大原寺(たいげんじ)と号する。本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)。1013年(長和2)左大臣源雅信(まさのぶ)の子寂源(じゃくげん)の創建。大原魚山流声明(しょうみょう)の根本道場として栄えた。1020年(寛仁4)の法華八講(ほっけはっこう)の際の天台僧寛超(かんちょう)・遍救(へんく)の論争、および1186年(文治2)の大原問答で有名である。大原問答は、天台の顕真(けんしん)が、貞慶(じょうけい)・重源(ちょうげん)・証真(しょうしん)ら南都北嶺(ほくれい)の学僧とともに、当時盛んになりつつあった法然(ほうねん)源空を招いて、浄土教についての論議を交わしたものである。平安時代の銅鐘および鎌倉時代の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)は国の重要文化財。本堂は1778年(安永7)の再建。
[田村晃祐]
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