勝林院(読み)しょうりんいん

精選版 日本国語大辞典 「勝林院」の意味・読み・例文・類語

しょうりん‐いん‥ヰン【勝林院】

  1. 京都市左京区大原勝林院町にある天台宗の寺。山号魚山。承和二年(八三五円仁開創。長和二年(一〇一三)寂源が中興。文治二年(一一八六大原談義大原問答)の行なわれた所で、本尊阿彌陀如来像は「証拠の阿彌陀」として知られる。大原寺

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日本歴史地名大系 「勝林院」の解説

勝林院
しようりんいん

[現在地名]左京区大原勝林院町

三千さんぜん院の北に位置する。魚山と号し、天台宗。延暦寺の別院の一。本尊阿弥陀如来。寺伝は、承和二年(八三五)円仁が唐より声明を将来し、それを取入れた天台声明の根本道場として創建したとする。一時期衰退したが長和二年(一〇一三)源時叙が中興し、勝林院と称した。長承元年(一一三二)成立の「拾遺往生伝」巻中に「少将源時叙は、一条左大臣雅信の五男(中略)天元年中に、生年十九にして、世を捨てて出家し、法名寂源、大原に住しけり。俗、呼びて大原入道と云ふ。一の禅門あり、勝林院と名づく」と記し、「元亨釈書」には「長和二年入太原山勝林院」とみえる。寂源は「栄花物語」巻一二に、長和五年七月の雅信室の臨終の際「大原の入道の君も、年頃里にいでさせ給はざりつる、こたみさへはいかでかときゝ過し難くて参り給て、ただ御枕上にて、念仏をし聞せ奉り給ふ」と記され、「古今著聞集」巻二にも「少将の聖(中略)卅余年堂行三昧を行せられける」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝林院」の意味・わかりやすい解説

勝林院
しょうりんいん

京都市左京区大原勝林院町にある天台宗の寺。魚山(ぎょさん)大原寺(たいげんじ)と号する。本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)。1013年(長和2)左大臣源雅信(まさのぶ)の子寂源(じゃくげん)の創建。大原魚山流声明(しょうみょう)の根本道場として栄えた。1020年(寛仁4)の法華八講(ほっけはっこう)の際の天台僧寛超(かんちょう)・遍救(へんく)の論争、および1186年(文治2)の大原問答で有名である。大原問答は、天台の顕真(けんしん)が、貞慶(じょうけい)・重源(ちょうげん)・証真(しょうしん)ら南都北嶺(ほくれい)の学僧とともに、当時盛んになりつつあった法然(ほうねん)源空を招いて、浄土教についての論議を交わしたものである。平安時代の銅鐘および鎌倉時代の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)は国の重要文化財。本堂は1778年(安永7)の再建。

[田村晃祐]

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