日本歴史地名大系 「土田村」の解説
土田村
どたむら
- 岐阜県:可児市
- 土田村
木曾川南岸にあり、南から北西流する可児川が北西部で木曾川に合流する。中山道が東から北へと通り、
「濃州徇行記」によれば田四七町八反余・畑七一町一反余・山一九町四反余・御林松山九〇町余。
土田村
つちだむら
- 島根県:益田市
- 土田村
土田川流域に位置し、北は
土田村
つちだむら
- 滋賀県:近江八幡市
- 土田村
八幡町の南西、
土田村
はんだむら
土田村
つちだむら
土田村
つちだむら
土田村
つちだむら
- 島根県:益田市
- 土田村
現土田町地域にあった益田庄内の村。寛元二年(一二四四)一一月三日の沙弥西念譲状(吉川家文書)によれば、西念(三隅兼信)が次男乙法師に譲渡した「すんつの浦」(現三隅町)の西の境として「土田湊」がみえる。土田村としてみえるのは建長七年(一二五五)三月一五日の北条時頼書状(益田家文書)で、「益田庄内乙吉并土田村」は乙吉小太郎兼宗の所領としてみえる。土田村はもとは
土田村
つちだむら
吉野川北岸の伊勢南街道(現国道一六九号)沿いに開けた街村。地元では土田を「つった」という。和歌山藩主の参勤交代路でもあるため、東に続く
中尾含真の「土産枝折鞭」に「土田今木より一里余 民家多く町長し、馬駅也」、貝原益軒の「南遊紀行」に「土田は下淵より十町ほど上にあり。
土田村
つちだむら
多賀村の北西にあり、北部を
土田村
つちだむら
土田村
はんたむら
土田村
つちだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報